l-五重塔を照らす智者の言霊 Feed

2018年1月 4日 (木)

人生の4つの目標

人は下記の4つの目標を定めないと人生の道に迷う。

・宗教を知る

  信が生まれる。

・文化を知る     

      智慧が生まれ、物事を正しく観られる。

・道徳を知る     

  掟を知り、命を正しくする。

・社会を知る

  定(おきて)を知り、定を正しく運用する。

 

人生での自己表現

 身を殺さず、盗まず、犯さず。口を偽らず、飾らず、二枚舌を使わず。心をむさぼらず、そねまず、過たず。そうして身口意を、全て完遂するのが「智慧」である。人生で自分を磨き、最善を尽くすとは、「忙中に閑あり」である。

 文学は感情の表現で、心情の輝きを表す。工学は数値での感情表現で、技の輝きを表す。音楽は観性の物理的表現で、心の振幅を表す。政治は人の差配の技で、人々に安堵を与える。

 

人間と動物の差

 人間と動物の違いは、精神的な活動の有無の差である。人間として精神の世界を持つかどうかで人生が変わる。飲み食い睡眠だけの生活に堕落すると、動物となんら変わらない。精神的な存在を信じないと、人生の目標など思いもつかない。その精神世界の一つが宗教である。人は坂道に置いた球のような存在である。放っておくと下に転げ落ちる。自戒を持ち、自省をして動物界に堕ちないように、行動の戒めとして方向を定めてくれるのが宗教である。それはどの宗教でも同じである。神も佛も己の心の中におわします。だから私はオダブツ教の教祖である(?)。

 動物界でも支配欲がありその集団のボスの座を巡って壮絶な争いも起きる。しかしボスはその集団の未来を考えて支配するわけではない。単に支配欲、雌の独占欲だけでの世界である。

 最近の世相では、組織のトップになりたいだけで他を押し除けトップに立ち、自分のためだけで経営をして、結果として企業不祥事が露見する事例が多発している。すべて利己主義に起因する。サル山の集団となんら変わらない。すべて経営の目的が、自分の利益慾だけできた咎である。グローバル経済主義の弊害である。

 

目標と手段の混同

 その人生目標を東大に入ることや社長や市長になることを目標とする人がいる。目標と手段を間違えると、その世界は畜生道の世界に堕ちる。大学合格が目標なら、大学に合格後は、遊び惚けるのは必然である。目的が有名大学に入ることにあって、その道の専門知識を学ぶためではなかったのだ。社長や市長になることが目的だと、その経営で目標などは掲げない。経営上で、あるべき目指す姿やビジョンを描けないので、経営でも市の運営でも、成り行き任せで社員や市民のことなど知ったことではない経営や行政となる。まるで大垣市政のように。

 大垣市政を考えると、小川敏氏は市長になることを目標としてきたように思える。大垣市の未来をどうするかは考えていないのだ。だからビジョンがないのだ。

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 馬場恵峰師 91歳  2017年4月9日 新潟での講演会

 

 本原稿は、馬場恵峰師の新潟講演会(2017年4月9日)の講話内容をヒントに構成しました。

2018-01-04

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年1月 3日 (水)

第五段 生

 生とは天からの授かりもの。生は偶然だが、生あるもの死は必然である。それを象徴して、五重塔の最上段の五段から四段、三段とカウントダウンをして死に向かうことが、五重塔の形と書で人生が表現されている。カウントダウンの音が聞こえる中、我々は何を為すべきか。何を残すべきか。 

 

 親から、ご先祖から頂いた命。何時かは浄土へ返せなばらぬ命である。命とは、自分が此の世で使える時間である。かけがえのない一日、繰り返せない一日、二度とないこの尊い一日を、感謝で生きていきたい。

1f5014k8a99713  釈迦如来像、手前の龍は中尊寺謹製 日中文化資料館蔵(以下同じ)

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 最上段天井の裏面

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4  馬場恵峰書  久志能幾研究所蔵

2018-01-03

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2018年1月 2日 (火)

言霊の力

 最初に言葉ありき(マタイ伝)。言葉には命がある。その言葉に生を与えるのは自分である。言葉が、人生を変える。良きことを思えば、良き人生を得る。悲観的に考え、人や己を呪えば、その言葉の刃は己に向く。誤ったことを宣言すれば、誤った道に進む。それは自己の潜在意識に呼びかけるアルファ―メーションである。

 

言葉が示す通りの人生となる

 私は言葉を大事にすることを信条としている。場面場面で、選ぶ単語に、己の思いが宿る。その思いが最大限表現される言葉を慎重に選んでいる。書名、メールタイトル、書類の題名等は、一言で、己の思いが完全に表現される言葉を厳選している。自分の人生計画書、年度の目標項目、戒めの言葉等で、その効用を実感している。

 

言葉の学び

 前職では、早稲田大学の篠田義明教授から科学工業英語セミナーで言葉の大切さを教えて頂いた。師はテクニカルライティング分野で日本の第一人者である。One word one meaning、核文の大切を教えて頂いた。それがご縁で、ミシガン大学のテクニカルライティング夏季セミナーに2回も参加するご縁を頂いた。文章中の言葉の選定で、角川書店刊『類語新辞典』を紹介してもらい、大きな武器を手に入れた。

 前職では、親会社から出向して来た部長には、書類の一字一句の大切さをしごかれた。メール文で「〇〇様」と書くところを、「〇〇さん」と書いて、「俺をばかにするのか」とド叱られたことがある。それほどに言葉の選択には厳しかった。そういう厳しさがあり、トヨタは世界一になった。

 最近、岩波書店刊『日本語 語感の辞典』を入手して、今までもやもやしていた言葉の使い方が明確になり重宝している。

 

「大垣中心市街地活性化計画」に込めた小川市長の思い

 人は自分が思った通りの人生になる。そうでなくても、それに近い人生を実現することを目指して生きる。その過程で、多くの良きご縁に出会い、成長する。

 大垣市も小川敏大垣市長が思った通りに大垣になってきた。小川市長は、大垣の人口が増え、賑やかな街になるべく言葉遊びに近い「大垣中心市街地活性化計画」を作り、それに沿って実行してきた。誤った計画でも、その誤った方針で綴られた「大垣中心市街地活性化計画」が大垣の未来を縛り、その誤った方針通りに市の未来が実現してきた。その誤った計画書通りに、大垣市は衰退し、この17年間で市の中心地は壊滅状態になり、商店街の半分のお店がシャッターを下ろした。この世では最高の事しか起こらない。大垣が寂れるように小川市政が政策を施したので、結果として寂れただけである。それが逆なら神様が困ってしまう。それは市長が考えた通りの街になった。駅前にはマンションと予備校が林立し、「商店街など潰れてしまえ」としか思えない政策の為、大垣駅前商店街は、どんどんと寂れていって61%がシャッターを下ろした。この5年間で、大垣駅前商店街の63%店主が売り上げが落ちたと嘆く。大垣駅前一等地の公示地価はこの5年間だけでも12%も下落である(岐阜県)。

Photo

 馬場恵峰書「千文字・實語教 智者の言霊」の表紙より

 

2018-01-02

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2018年1月 1日 (月)

人生の五重塔

 明けましておめでとうございます。一年の最初に当たり、一年の計を考える上で、また人間一生の計をも考えるうえで、この文章が皆さまの参考になれば幸いです。本年もよろしくお願い申し上げます。

五重塔とのご縁

 この五重塔の写真を編集する際、恵峰師から五重塔正面に書かれた和歌五句の意味を聞いた。五重塔に込めた師の想いである。平成28年に開催された写経書展の写真集を編集するとき、塔の内部を撮影して驚嘆した。今まで何回もこの塔を見ているが、その気がなく、その言葉の重みに気が付かなかった。その気がないと、あれども見えず、である。五つの和歌は人の一生を象徴する「生・老・病・苦・死」を表していて、第五段から一段へと示される。最上段に生を象徴する釈迦如来像を配置し、第一段の中に浄土を象徴する阿弥陀仏像を安置する。

 

生の和歌

 人にとって生は偶然であるが、死は必然である。その価値ある生を意味あるものにするのもしないのも、全て自分次第である。それを生の叫びとして和歌で詠ったのが、第一ステージの「生」の和歌である。

 「為せば成る 為さねばならぬ 成らぬ業を 成らぬと捨てる 人のはかなき」 何ごとも思わず、第一歩を踏み出さなければ、何事も成し遂げられない。一つの計画にも命があり、生と死がある。その生を殺すも生かすも全て己の意思である。

 

老いを受け入れ

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、生老病死を経て、浄土に旅立つ。人は生きている間に、どれだけ多くのお世話とご縁を頂いたことか。この世で生きていく中で、多くのご恩を受けながら、その恩の認識もせず、またそのお返しもせず、この世を去るのは犬畜生にも劣る。そのご恩に報い、自分を飾らず、ありのままの素直な人間とて散りたいと、第二ステージで「報恩」と良寛和尚の和歌「裏も見せ 表を見せて 散りる紅葉」を詠う。自然は生あるものの生きざまを教えてくれている。紅葉が散るとき、風に吹かれて表も裏も見せながら散っていく。それを己の見っともないことを隠そうとするから苦しくなる。ありのままで散ればよいと良寛和尚は諭す。

 私の昔の上司で、破竹の勢いで出世し我が世の春を謳歌した役員がいた。その役員も女性問題で会社を追われて、別の会社に移ったが、年老いて脳出血で倒れた。女性問題でさんざん泣かされた奥さんが、リハビリのため彼を屋外に連れ出すのだが、惨めな姿をご近所に曝したくないとそれを嫌がり、ついには自宅を売り、地元の別の場所に転居してしまった。老いれば病になるのは自然の摂理。それを受け入れないから、益々不幸になり、周りも不幸にする。

 

人を目指して

 人の一生は「志」を立てないと何も始まらない。「我十五にして学を志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知り 六十にして耳に順う 七十にして心の欲する所に順って矩を超えず」(論語為政編)

 恵峰師の九十年の歩みは正にこのようであった。その人生さえも振り返れば、あっという間で、光陰矢の如しである。

 長い人生で、本物の「人」に出会うことは稀である。まず生を受けた以上、人にならなければ、生きてく価値がない。人は一人では生きていけない。支えあってこそ人である。他人を蹴落としてまでのし上がり、己の強欲を満たすグローバル経済主義や覇権主義は、犬畜生以下の姿である。ライオンでも満腹になれば目の前を行くウサギを追いかけない。その人としてのあるべき姿を「人多き人の中にも人はなし 人となれ人 人となせ人」と第四ステージで詠う。

 

散り際

 どんなに栄華を誇ってもいつかは滅する。生あるもの、死は必然である。どんなに金銀財宝を集めても、あの世には持って行けず、最期は線香の煙となって消えるのみ。「色は匂えど散りぬるを」と第五ステージで、いろは歌は人生の死を詠う。この五重塔の人生の和歌を読むと自分の人生を考えてしまう。今の自分ともう一人の自分を佛の眼で観て、進むべき道を探したい。何のために自分は生まれたのか。どんな人間になりたいのか。何を残して死ぬのか。何のためなら死ねるのか。

 

人生の歩みの記録

 五重塔正面に書かれた人生の和歌を読んで、今まで恵峰師に揮毫をしていただいた蔵書の中から選別をして、それを生老病苦死の順で並べることを思いついた。付き合う人や親を見れば、その人柄が分かる。その人の持つ品物を見れば、その人が分かる。その人の食べるもの、嗜好するものを見れば、出来上がる人間が透けて見える。品物を買う、食物を食べる、とは自分を買う、自分を作りあげる過程をいう。その行動から、自分の姿や未来が見る。商品を値切って(ディスカウント)して買う人がいる。それは自分をディスカウントすること。自分の価値を下げる行動である。自分の価値を高めるものをディスカウントせず、正価で買うのが正しい生き方である。自分の人生を「安売り(ディスカウント)」するのは自殺行為である。良いものにはワケがある。よいものは自分の人生を豊かにしてくれる。この十年余、恵峰師の書画を集めてきて、それを生老病苦死で並べてみると、自分の人生の歩みを垣間見るようである。これは私の人生の五重塔である。

 

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恵峰師とのご縁

 2006年に恵峰師とのご縁が出来てから、10年余の歳月が流れた。師に揮毫して頂いた書は、その当時の私の思いが込められている。多くの書の中からその書を選択するとき、その時の己の心情が表れる。その書画を見るたび、反省と励みがある。師も昔に比べれば、老いを感じさせられるが、筆を持ち演壇に立てば、十年前と変わらない凛とした姿がある。その筆には益々の冴えがある。いつまでも元気でいて頂きたい。

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  2016年12月9日 写経書展での恵峰師  90歳

 2018-01-01

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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カテゴリー「五重塔を照らす智者の言霊」

 表記のカテゴリーを追加します。馬場恵峰師とご縁ができて十年余がすぎて、百点以上の書画が手元に集まった。それを眺めているうちに、一つの物語が生まれた。その多くの書画の中から、50点弱を厳選してまとめたのが本書である。

 

書の原点

 世には字体を崩して読めない字を描いて、芸術だと自己満足に陥っている書道界の流行がある。読めない字を書いては、字の持つ本性を無視した邪道、邪芸である。それに対して、「何時でも何処でも誰にでも」読める字を美しく書かれる恵峰師の書画は、並みの書画とは一線を画するものである。師の書がもっと世に認めらえることを祈念して本書をまとめた。

 正しい書法に則って美しく書かれた恵峰師の人生の訓言を読み返していると、生きてゆく勇気が湧いてくる。活字で読むのとは、違う世界である。そんなご縁を頂けたことに感謝。

 

五重塔の経緯

 この表紙の五重塔は、平成14年、日中正常化30周年、馬場恵峰ご夫妻金婚式と重なって、記念として制作された。製作は大工の新立広美さんが担当され、部材は台湾の桧を使い節が全くない。今では入手困難である。

 五重塔の壁面は、恵峰師作の漢詩文55首と正面和文の句は人生訓5句の60面である。最上段の蓮珠内には、釈迦如来像を安置し、塔内部は回向文、聖信念佛偈等の経文の各十句を揮毫。塔の内部の中心には阿弥陀佛像を安置し、その周りを経文で囲んでいる。

 

書名「五重塔を照らす智者の言霊」について

 五重塔は、人生の「生老病苦死」の過程を象徴する。荒波の人生航海で、暗夜の中の灯台のように導いてくれるのは、先人や智者の言葉である。人はたった一言で救われる。勇気さえをもらえる。そんな宝石のような言葉を、美しい馬場恵峰書で鑑賞して頂きたいとの編者の願いを込めて書名を付けた。

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 2018-01-01

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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