l5_佛が振るチェカーフラグ Feed

2017年7月28日 (金)

自分つくりの最終仕上げ

「私は歳のせいで視力が落ちて細かいところはよく見えない。しかし、彫刻の時は、彫る場所の1点に集中させてそこを見るから見える。周りまで全て見ようとするから見えないのだ。」

「佛師は美しい佛像を作る責務がある。」

「人の寿命は80年、佛像(大佛)の寿命は1,000年。」

「時間に追われて焦るのは、自分が弱いからだ。」

                                                       大佛師 松本明慶先生の言葉

 

 我々は何を焦って仕事をしているのか。自分つくりの一つだけに集中して、人に負けない仕事をすれば十分ではないか。残り時間が少ないのに、欲張っても仕方がない。人生最大の仕事は自分造りである。自分だけの顔をつくればよい。美しい自分の人生を創って、後悔なく旅立ちたいもの。

 

「自分という佛は何者か」を60年間考えながら、自分自身を彫り続けてきて、今の顔がある。還暦後の仕事はその最終仕上げ工程である。本当の自分の顔をどれだけ彫り出せるかが還暦後に課せられた仕事である。自分の鬼の顔の下に佛の顔が埋まっている。

 松本明観さんが松本明慶師から、製作中の佛様の「頬を少し削れ」と言われ、紙一枚分よりも少ない量を削いだら、「削り過ぎだ」と叱られたという。佛の顔と鬼の顔の差は紙一重である。佛師は絶妙の一刀に命をかける。その技を磨くのは鍛錬しかない。

 

百不当の一老

効果のないと思われるような小さな積み重ねが、臨界点に達すると劇的な変化となる。臨界点に達するまでに止めてしまうから、それまでに費やした時間が無駄になる。還暦までに費やした時間を無駄にしたくはない。還暦後の人生第4コーナからが昇竜に変貌する時なのだ。

「僕は『1万時間の法則』を唱えていて、何であれ、1万時間をかければマスターできる」 藤原和博・教育改革実践家 (日経ビジネス 2013/07/02)

 

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

11

2017年7月 2日 (日)

生前火葬から必死の逃走

 定年退職の生前葬に続いて、会社に残ると会社で生前火葬の葬儀がある。生前火葬では魂が焼かれる。生前葬が終わったのだから部長、課長の肩書は無用として剥奪され、無地の名刺で、白い経帷子の派遣社員扱いの制服を着せられる。そして自分より能力の低い部下が、上司僧侶としてとして引導が渡される。派遣社員扱いの処遇で働く境界に落とされ、そこで自分の自尊心と誇りが燃やされ灰にされる。派遣社員からも、職位権限がないので、軽んじられる。2,3年も務めると、焼きもちの火よりも強烈で長時間の火葬に嫌気がさして満期の5年の刑期を務める人は稀である。よほど面の皮が厚いか心臓に毛が生えているか、家のローンが残っているかでないと、続かない。その定年後の5年間で、すっかり精力、気力が燃やされて、魂の抜け殻が残り、生前火葬が終了する。あとは徘徊の人生が待っている。

 職人の世界でも、辣腕の料理長として長年君臨していても、定年になって元の職場で働けば、若造から「ジジイ」扱いされ、「おいジジイ、この皿洗っとけ」である。「ジジイ」ならまだましで、「クソジジイ」ではプライドも消滅である。

 

逆縁の菩薩の教え

 私は定年後の元部長が、昔の部下の課長の下でヘイコラとしている卑屈な姿を見て、定年後に会社に残るのをやめた。元部長は逆縁の菩薩であった。定年後の5年間で仕事は同じ、給与は半分以下で働けば、精力と気力を使い果し、その後の起業がほぼ困難になると確信した。定年後の第二の人生の立ち上げには体力も気力もいる。その大事な時期を社内生前火葬で灰にされてはかなわない。生前葬が終わったら、その後は人生の主として歩みたい。

 

生前火葬の損益計算

 定年後、会社に残って働けば、元基幹職でも給与は約三分の一に激減する。それでも年金よりは倍近い年収である。定年後の計画がないならそれも可である。しかし年間1,800時間の自由時間が奪われる。年金での生活にプラス150万円程を稼ぐために1,800時間の自由時間を引導僧侶の上司に貢ぐことになる。150万円を1,800時間で割ると、ファーストフード店やコンビニのアルバイトの時給以下となる。会社にとっては、経験豊かな人材を使用済み人材として格安でこき使える。自分の老計・死計を考えると、正しい選択ではない。それの理由で、私は早期入棺・生前火葬から逃亡した。

 誰にでも守るべき自尊心がある。それを放棄するのは奴隷の人生である。還暦まで生きてきて、そこまで落ちぶれたくはない。上司の悪魔の絡め手の引き留めを振り切って、焼かれる前に逃亡した。生前火葬からの逃亡後に、多くのご縁が生まれた。生前火葬されていれば、本書も生まれなかった。

 

図1 老いの川柳  小田泰仙作 馬場恵峰書

 

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

書の著作権は馬場恵峰師、所有権は久志能幾研究所にあります。

12

2017年7月 1日 (土)

佛が振るチェッカーフラグ

 一生を人間として生きたい。周りが自分の老いを教えてくれる。自分の愚行を佛様が老いだと教えてくれる。それは天の声である。人生道第四コーナ突入で、チェッカーフラグを佛様が振る。その旗の合図を見落とすと、コース逸脱して、人間失格となる。

 「人間」とは人と人の間で生かされる存在である。生あるものは生老病死、何時かは老いる。その状況で、己はどう戦ったのか。その老いる中、少しでも世の為に恩返しをしたい。老いても生を楽しみ、健康状態を保って天寿を全うしたい。健康とは体と心の健やかさをいう。寝たきりや、認知症に罹るとは、人間としての死である。それは己が鬼となって家族を生き地獄に突き落とす非道の行為である。

65歳以上になれば15%は認知症である。己が老人の惚けを笑っても、いつかは笑われる身となる。人間としての誇りとして、笑われないような生き方をしたい。その為の健康管理に最大限の精進をしたい。惜しまれて、良き思い出を残して、最後まで現役として逝くべし。最終周回コースでの走行では、佛様は順位ではなく、完走を望まれている。

 

全日本学生フォーミュラ大会で沈没

 『ものづくりによる実践的な学生教育プログラム』として全日本学生フォーミュラ大会が、自動車技術会の主催で毎年9月に静岡県エコパ(小笠山総合運動公園スタジアム)で開催されている。その中で完走するチームは30%と少ない。準備不足で、ゴール直前で沈没するチームを多く見る。中には火災まで起こすチームがある。人生のマサカである。そこに人生のゴール間際の象徴を見た。まず、完走することの難しさが体験できる全日本学生フォーミュラ大会へのチャレンジである。

 私は自動車技術会の会社事務局として、この大会運営のお手伝いのため出張した。いわば佛として、学生たちの1年間の卒業研究のプロジェクトの成果を拝見する立場であった。事前にやるべきことはフォーミュラカー運営規約で公開されているが、100余のチーム中で、その車検が通らないチームが10%にも上る。いくら手間暇かけて製作したフォーミュラカーでも、車検が通らなければ、コースに出れず1年が無駄になる。またその中で完走できるは、わずか30%に過ぎない。完成品のエンジンを協賛メーカーから提供してもらって、自作のボディに組み込む。基本的にメーカーからの自動車部品の提供を受けて作り上げるフォーミュラカーである。それは過去15回も実施されいるから、先輩のアドバイスを受ければそんなに難しいことではない。それが走る前の車検で1割のチームが沈没し、走り始めても2/3が途中で沈没である。まるで会社人生の修羅場をくぐって、定年まで完走できる人が1/3であるのと似ている。私の前職の同期も定年時に1/3しか残っていなかった。考えてしまった、よくぞ定年というゴールに無事着いたものだと。自分で自分をほめてやりたい。

 

犬も認知症になる

 単身赴任のSさんが久しぶりに家に帰ったら(2016年)、飼っている犬が自分のことを認識しないのに愕然としたという。もう17年も飼っている犬で、人間に換算すれば80歳にもなる。前に帰ったときは、声をかけると嬉しそうに腹を上にして撫でろとジャレついてきた。それが今回は様子がおかしい。どうも目も見えず、主人の声の記憶も失われたようで、悲しくなったという。人の恩を忘れないという犬さえも認知症に罹る。親でも認知症になれば子供の顔を認識できない。それは最大の子不幸者。

 

 

図1 認知症に罹る比率  日本経済新聞  2014/07/09

図2、3 学生フォーミュラ大会で走行中のフォーミュラカー (2008年9月11日) ゴール直前で沈没のチームも多くある。

図4 火災を起こした学生フォーミュラカー

 

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

15

2img_1342

3img_1345

4img_1307