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2024年7月27日 (土)

日本の危機、「優しさ」とは「差しさわりの実行」、「愛」の反対は「無視」

 

 子どもに、差しさわりのある言動で干渉することは正しい教育である。

 現代日本では、学校で教師が子供に「差しさわりのあること」を言動すると、クレーマーのような親が学校に怒鳴り込んでくる時代だ。教師が正しい教育をできなくなっている。

 現代は、問題が起きないように、問題を起こさないように、教師がびくびくしている。校長や教頭は教師たちへの指導で、差しさわりのあることをさせないようにしている。公的教育界が、官僚の世界と同じ、減点主義になっている。

 会社でも部下のことを思って叱っても、それがパワハラとされてしまう。世の中、ポリコレが暴走して、社会が崩壊してきている。

 この現象での最大の被害者は、日本の未来を背負う子供達だ。これでは日本の未来が失われる。

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愛の反対は無視

 教育とは、子供への愛である。愛の反対は「憎悪」ではなく、「無視」である。愛があるから心配して過干渉もするし喧嘩もする。厳しいこともさせる。間違っていれば叱る。愛が無ければ、相手がどうなっても知ったことではないから、「無視」である。無視が子供には一番残酷な仕打ちである。

 同じように、相手に対して愛があるから「優しく」なり、相手の将来を考えて、敢えて厳しいこと(差しさわりのあること)をする。それがが「優しさ」なのだ。

 

教育とは

 ラテン語の教育は「殴る」が語源となっている。「教える」という「教」の偏は大人と子供の象形文字で、つくりは「攵」は鞭の象形文字である。つまり大人が子供を鞭打って育てている姿である。

 つまり西洋も東洋も、成人になる前の子供は動物扱いで、教育という訓練で、大人にさせる。

 それを世間に憚って、叱るべきことを見逃がすと、その子供が正常に成長しない。却ってその子供の将来に害をなす。甘やかされて育った子供の未来は暗い。だから子どもが間違ったことをすれば、殴ってでも修正させるのが正しい教育である。

 

「生と死を考える会」8月例会

 「あぶらみの里」代表の大郷博先生は、あぶらみの里で子供達にキャンプ体験をさせる際、子供達をお客様扱いせず、準備の一部を手伝わせるという。親から見れば「差しさわりのあること」である。大郷博先生は、そうやって子供達に社会の掟を現場で体験させて、大人に成長させるという。

 2024年7月27日に、あぶらみの里で開かれた「生と死を考える会」7月例会で、大郷博氏は、この件を話された。

 

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 講演をされる「あぶらみの里」代表の大郷博先生   「諸魂庵」で

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 「あぶらみの里」内の「諸魂庵」(会場)


2024-07-27  久志能幾研究所通信 2890号  小田泰仙

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