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2024年7月31日 (水)

古希を迎えて見る夢は、走馬灯の陽炎絵

 還暦を迎えた時に見る夢は、悪夢であった。

 古希を迎えてみる夢は、自分が作り上げた夢の道だった。

 

久志能幾研究所通信: 兵どもが夢の跡 人間関係の葛藤は戦争だ (enjoy.jp)

 

 古希を迎える前に大病を患った。余命宣告まで賜った。しかし、心を入れ替えて、なんとか命を長らえて、古希まで生かされて来た。その人生を振り返り、それが走馬灯のように頭を駆け巡る。不運な人は、その機会もなく、そのまま旅立つのである。それに比べれば、何と幸せなことか。

 

 大病をして、余命宣告をされたから、命の大事さを痛感する。大病をせず、そのまま狂った生活習慣、狂った食生活を送り、結果として突然、脳梗塞、心筋梗塞で死ぬよりも、はるかに良い結果である。突然死では、その死の準備が出来ぬ。

 ガンはその準備の時間を与えてくれる。ガンになって突然に死ぬわけではない。がんは身内の細胞が分裂して出来た事象だ。外からのウイルスでなったわけではない。がんは自分に死ね、と言っているわけではない。がんは「狂った生活習慣を変えろ、狂った食生活を変える」と言っているだけだ。がんはまだ出直すチャンスを与えてくれている。医師は、「ガン部を摘出したから、あとは今まで通り生活で良い」というが、大嘘である。ガンになった真因を、「5回の何故なぜを繰り返し」て見つけないといけない。そうしないと再発する。

 

記憶こそ人生

 人生を振り返り、人生とは記憶であると悟った。その記憶も歳を取るとどんどん薄れていく。そのため記録の保存が必要だ。多くの経験、失敗、成功を体験して、人生を謳歌できてよかったと思う。エリートと呼ばれる人は、大過なく昇進のエスカレータに乗って、人生を波風の嵐を受けず全うするから、末期に認知症になりやすい。

 やりたいこともせず、閉じこもって人生を送っても、それは、生き永らえるだけの「屍の人生」である。ベッドの上で、単に生命維持装置で生かされるのは地獄である。人生は動いてなんぼの世界である。動いて記憶・記録を作ってこそ人生である。その記憶・記録を少しでも多くして、この世を去りたい。そのためには健康でなければならない。

 

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 書庫に納まった私の50年間の活動記録

  学校・会社のノートは高校生時代から保存

  雑誌『航空情報』は55年間のバックナンバー

  家族の写真アルバムは100年前から

  家系の記録は1734年から

 別の新館には、この書庫に入りきらなかった資料が山とある。

 新館には、80×180cmの本箱が12個である。

2024-07-31  久志能幾研究所通信 2892号  小田泰仙

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