巡礼 早矢仕清貴展 2.4次元色彩水墨画 in Sagan
2024年5月4日(土)~5月27日(月)
11:00~17:00(水曜・木曜日は定休日)最終日は16:00まで
岐阜市川原町 Gallery Sagan
2.4次元色彩水墨画
私は世界の美術館の70館以上を回って、世界の絵画を鑑賞した。その中には多くの種類の絵がある。その私でも、早矢仕さんのような画風は初めてである。早矢仕さんは新しい世界を切り開いたようだ。私は早矢仕さんの絵のカテゴリーを、「2.4次元色彩水墨画」と定義した。
二次元に次元ダウン
水墨画では線で物体の輪郭を表現するが、早矢仕さんの絵は、輪郭なしで色彩の塗り込みだけで形を形成させている。立体的な風景をなるべく2次元にする形で表現されている。それでいて空間の広がりを感じる。二四が八で、八方の空間をイメージさせる画風である。まるで禅画のイメージである。
我々の回りは全て三次元の姿が取り巻いている。それを絵に表すために、画家は遠近法等の手法を用いて三次元の姿を2次元の平面に無理やり押し込めて表現している。そこに無理があるが、それを自然体で遠近を無くした平面的に表した絵である。いわば2.4次元の油彩の水墨画である。まるで幻想的な哲学の世界である。
西洋の絵は、3次元で詳細に書き込んで仕上げていく。早矢仕さんの絵は、その逆で現実を抽象化させた絵である。
雪舟との接点
早矢仕清貴さんの作品を見て感じたことは、雪舟の水墨画の印象である。写実的に書かれてはいるが、よく見ると現実から逸脱した画風である。
早矢仕さんの画く風景画の一部の表現は、水墨画のように一筆で書かれている。絵は油彩ではあるが、ごてごてと塗りたくってはいない。古びた水墨画が、カラーで復刻された写真を連想する。その一筆一筆が計算尽くされた表現となっている。それが水墨画を連想させられる。
ひと筆画きをする痕跡
それを表現するために、4枚も描き直して完成させた作品も展示されている。4枚も書き直さねば、自身で納得できなかったのだろう。たかが一筆、されど一筆である。重ね塗りをすれば、その水墨画のような雰囲気がなくなってしまう。作者のこだわりである。1枚の絵に4枚分の労力がかけられている。
その多くの絵は、一度書いてみて、途中で筆をおき、時間が経ってから、新しいインスピレーションを得て、それを基に最初から書き直して完成させると言う。
建屋の窓や戸が一筆で描かれている。まるで水墨画である。
これを完成させるため、4枚も書き直している。
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広がりを感じる圓
絵の形は、ほとんど正方形である。正方形は円を連想される。禅画のイメージである。それは森羅万象の宇宙を連想させられる。長方形だと水平線を意識して、豊満な宇宙の円の連想を邪魔する。
フラッシュを焚いた時の一瞬の情景を描いている。幻想的である。
そのため陰影が白黒だけになり、禅的な雰囲気がある。
タイトルは「3tree」 である。
陰で3本目の木を表現して、空間の広がりを表している。
一度描いて未完成であった絵を、新しいインスピレーションを得て書き直したという。
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臨終の際に見える眼
私が肖像画を観る時の大事な観点は、その眼の表現の在り方である。モジリアーニの顔は引き伸ばされ、目は白目を見せている。それは自分内部を見つめている目である。また過去の姿を思い起こさせる絵でもある。私は、きりっとした目つきの肖像画が好きだが、早矢仕さんの描く肖像画は、己が瞑想にふけり、眼のピントを合わさず、敢えてボケた映像の顔を眺めている。
その顔の表面には強い光が当たって、顔表面の凹凸が消え平面的な表現の二次元の顔になり、輪郭だけが強調されている。そこに自分の内面を見る眼を感じる。不思議な魅力的な目であり、顔の表現である。臨終の際、走馬灯のように過去の情景が頭を駆け巡ると言われる。それを思い起こさせる顔である。
2024-05-24 久志能幾研究所通信 2861号 小田泰仙
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