孟母参戦の教え(7)米国の夢は敵を殲滅、優雅独尊
アメリカン
二カ国語を話す人をバイリンガル、三カ国語を話す人をトリリンガルという。しかし一カ国語しか話せない人を、アメリカンという。それくらい、アメリカ人は、他国語を話さないし、話そうという意思はない。アメリカ人には、英語が公用語なので、どこに行っても不自由はない。なんで他国語を学ばねばならぬかと優雅に独り尊大である。
アメリカンドリーム
アメリカ人は、自分達が世界で一番偉いと思っている。まるで一神教の神のような振る舞いだ。その思い込みが世界に不幸をバラまいている。自分達の行動の理想がアメリカンドリームである。それは自分の夢の実現であり、対峙した相手は滅亡である。そんな国との付き合いは要注意である。時として、逃げるのが勝ちの場合もある。
先の対戦では、相手の大統領は偏見が激しい性癖で、性根が悪すぎて、からめ手で戦争に追いこまれた。その背景には、白人の有色人種への偏見があった。相手に、日本を挑発し、戦争を起こさせ、それで日本を叩くという意思のある確信犯の場合、どんな手があったか。歴史上のIF、である。
西部開拓
アメリカでは西部開拓という美名で歴史が語られる。しかし実際はヨーロッパを追われたゴロツキが新天地で、現地人所有の土地を強奪して、開拓と称しただけである。当時、アメリカ大陸には現地人のインデッアンが1000万人いたが、現在は50万人しか生存していない。要は、950万人は、異国の欧州より土地を盗むため侵入したならず者(元英国人が多い)により虐殺された。それをアメリカは西部開拓という美名で呼んでいる。
西部劇映画
アメリカは人種差別の国という歴史がある。たぶんアメリカ人の開拓者は、キリスト教徒でないインディペンデンは殺しても罪にならないと思っていた。その歴史にアメリカは口を閉ざす。だからアメリカの西部映画は、白人の戦いを美化した洗脳プロパガンダ映画である。だから私は見ない。
そして1515年から19世紀半ばまでの間に、1250万人以上のアフリカ人が売買された。奴隷にされた男性と女性、子供のうち約200万人がアメリカ大陸に向かう途中で死亡した。その数百万人の奴隷がアメリカ大陸で綿を栽培する農場で働かされた。
西へ西へと
アメリカ人は、西へ西への開拓を進め、西海岸に達すると、太平洋に乗り出した。途中のハワイ島では、王様を殺して領地とした。太平洋の西端で、フィリピンを見付け、それを植民地にした。そして日本に来たが、日本人に知識が有り、英国のアヘン戦争の顛末を知っていて、武士が国を守っていたので、植民地にはできなかった。そしてアメリカは中国に足を延ばし、そこで日本と利害がぶつかった。
列強諸国と同じく中国の利権を狙うアメリカは、日本と軋轢を発生させた。当時のアメリカには日本が邪魔な敵国であった。時期と地理的な環境で、国の友好関係は激変する。憎き日本を戦争に引きずり込む為に、ルーズベルトは、受諾不可能なハル・ノートを日本に突き付け、戦争をさせるように、仕向けた。
日本はABCD包囲網で列強から経済制裁を受けた。それは資源のない日本に「死ね」ということだ。あと半年そのままだと、日本の資源が底をつき、日本中の会社が倒産し、街中に失業者が溢れ、多くの人が餓死する事態となる。それで自衛のために戦いを始めたのが日米大戦であった。それはマッカーサーが帰国後、米議会で、「日本の戦いは自衛戦争であった」と証言している。日本のマスゴミはそれをスルーである。
そして日本人が白人なら、決して落さなかった原爆を2発も落とした。それも爆発実験として2種類の原爆を投下した。アメリカ原子力資料館では、広島・長崎の原爆投下の例は、爆発実験の項に分類されている。単に威力を示すだけなら、1発だけでよかった。そこに欧米人の有色人種への差別価値観を見る。
- 米国はフィリピン人に「スペインの植民地支配を終わらせる」と嘘を言ってマニラに進出し、スペインに代わって植民地にした。話が違うと抵抗するフィリピン人を米軍は徹底的に殺しまくった。米上院公聴会では、殺した島民数を20万人と報告している。 《高山正之 週刊新潮2006/4/20》
- 太平洋には2万の島々があったが、原住民は何の防備もせず、海から侵略者が来るなど予想もせず、昔ながらに平和に暮らしていた。
ここに白人海賊たちは鉄砲と十字架を担いでやってきて、片っ端から襲いかかり殺戮と掠奪を繰り返していった。
- 無主物先取特権だとばかり、自分たちの土地にしてしまった。「誰も住んでいなかったので、早い者勝ちで自分のものにしたのだ。何が悪いか」という言い分である。先住民が住んでいたはずだが、彼らにしてみれば白人以外は人間ではなく、猿やけだものと等しい存在と見なして平気でいたのである。
《清水馨八郎 「大東亜戦争の正体 それはアメリカの侵略戦争だった」》
以上は下記より引用
2024-02-13 久志能幾研究所通信 2825号 小田泰仙
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