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2024年1月 8日 (月)

死季の風 高校同窓会の出会い

 

 人生は生老病死である。2024年1月7日、6年ぶりに開催された高校の同窓会に出て、つくづくそれを感じた。55年前に400名が母校を卒業した。今日の同窓会で43名の物故者があることが発表された。73歳の今、約1割の仲間が亡くなっている。その数の多さに驚いた。

 一昨年、F君から年賀状を頂いて、連絡を取ろうとしたが、電話が全く通じなかった。今日の物故者の掲示で、彼が亡くなっていたことに愕然とした。8年ほど前に、彼と再会して楽しく歓談した。今度は訃報である。改めて自分が生かされていることに感謝である。70を過ぎたら、何時死んでもおかしくない。古希とは、古く希なる存在なのだ。私も5年間にがんを患い、一時は死を覚悟した身である。

 いつ死んでもおかしく無い自分である。精一杯生きていくために、世の中に役立つ身でありたいと思う。単に生き永らえたくはない。此の世で役立たなくなったら、お迎えが来ると覚悟している。

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  同級生の物故者を掲示

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 久志能幾研究所通信   春風秋雨

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 多くの動物は、生殖が終わると、そのまま死んでしまう。サケは、産卵が終わるとそのまま死である。カマキリは、生殖が終わると、雄は雌に頭から喰われてしまう。それが子供の栄養となる。雄は従容として雌に喰われる。それを思えば、人間は幸せだ。せめて社会に役立つような老いの生活をしたい。

 

同窓会で発見した多様性

 断捨離をすすめている仲間とお話しをした。その人は正規の職は退いたが、第二の職場でまだ現役である。現在、実家の整理中で、親や自分の写真等を全てシュレダーにかけて処分をしたという。思い出の品も全て捨てたという。親の写真の友人が写っていれば、それもその友人の個人情報なので、処分したという。位牌や遺骨もお寺に納め、墓じまいもしたという。断捨離をするか、しないかの、どちらが正しいというわけではない。

 そういう生き方もあるかと感心した。それは私と真逆であった。私はアルバム類を全て残している。お墓も新たに建立した

 お釈迦様はあの世が有るともないともおっしゃらず、ただ精進せよとだけ言い残され、旅立たれた。現世や来世をどう解釈するかは自分次第である。ただ精進さえすればよいのだ。お釈迦様は生前、ご自身の教えを強要はされなかったし、異教徒と戦われなかった。釈迦国に攻め入ってきた敵国にさえも、無抵抗であった。そして釈迦国は亡んだ。

 仏教は他の宗教に比べて寛容である。他の宗教では、その存在さえ許さない宗派がある。それが日本で他の宗教が普及しなかった理油であろう。

 人さまざまな価値観があるので、「皆違ってみんな良い」。これは金子みすゞの詩の一節である。これは仏教思想が入っている。他人の価値観を大事にするのは、お釈迦様の思想である。

 同窓会で多くも学びがあった。私はこれからの多くの想い出を作り、記録に残していきたい。全ての出会いに感謝である。

 

老いの季節に春の風

 今回の同窓会で一番の収穫は、テニスに誘われこと。70代の仲間の会である。最近の体力の衰えを痛感しているので、その回復の為テニスを再開しようと決意した。その前に体力復活の準備運動が必要ではある。遅くとも春までには参加しようと思う。これもご縁である。

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2024-01-07  久志能幾研究所通信 2798号  小田泰仙

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