看取り士、JAL516便炎上事故を俯瞰する
1月2日に羽田空港で起きたJAL516便炎上事故を見て自身の死を考えた。自分の臨終の場で、体が燃えている。体の細胞が悲鳴を上げている。その時、冷静に自分の死と向き合えるか。臓器の多くは死につつある。耳だけが少し機能している。医師が延命処置で、水分やカンフル剤を体に入れるが、体が拒否反応をするので、その水分や薬が体をますます苦しめる。
死なない人はいない。何時かは来る死のときである。その時、冷静に対処できるか。今回のJAL516便事故で、その事態を想定した。どんな飛行機も飛び立てば、何時かは着陸(死)せねばならぬ。人は生れれば、必ず死ぬ運命だ。その時が平穏な着陸(穏やか死)か、突然の悲惨な着陸(悲惨死)かは、誰にも分らない。
JAL123便は、1985年8月12日、機体後部の圧力隔壁が破損して、操縦不能に陥り迷走飛行の末、18時56分ごろ群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。長時間、死の恐怖に接して、最後は悲惨な死であった。世の中には、そういう死に際もある。今回は不幸中の幸いであった。
「大丈夫だよ」と看取り士(CA)が優しく声をかける。「荷物は持ってはいけません」、死の時は何もあの世に持って行けないのだ。そのCA(看取り士)に身を任せて、脱出シューターに身を投げる。心配することもなく、安全に地上(極楽)に降りられた。
「何事にも先達はあらまほしきもの」
出典:「徒然草(五十二段:仁和寺にある法師)」
飛行機事故の際、自分ならどうしただろうと考えさせられた。突然の死もあることにも準備が必要である。自分の死は一大プロジェクトである。初めてのプロジェクトである。先達を信じて、十分に準備をしよう。人生の最初で最後である着陸は、美しくありたい。
今回の航空機事故は、自分が看取り士の立場で考えさせられた事件であった。
看取り士というご縁に出会えて感謝である。
着陸は美しくありたい
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2024-01-06 久志能幾研究所通信 2797号 小田泰仙
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