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2023年11月

2023年11月 6日 (月)

巡礼 福田公美、日本画展 懐かしい記憶に和の香り in Sagan

「福田公美 日本画展」

 場所 岐阜市 川原町 Gallery Sagan

 期間 11月3日~11月23日 (水・木 定休)

 

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 「転生」と福田公美さん   Saganにて

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薫習で画家修業

 日本画は岩絵具や墨、膠で作りだす和の雰囲気がその命である。日本画は和室によく溶け込む。それが油絵具でゴテゴテと画かれた西洋風の絵画では浮いてしまう。

 福田公美さんは、祖父の画室の墨、膠の香りに包まれて育った。彼女は祖父が岩絵具を静かに溶く後姿を見ながら育ったという。そんな祖父の絵の雰囲気の中で育ったので、祖父の日本画の温もりが彼女の肌から身体にしみ込んだのだろう。霧の中を歩めば、自ずと衣が濡れる。よき香りのお香を触れば、その香りが衣服に移る。それが薫習である。だから彼女は、ごく自然と日本画の世界に入っていけたという。彼女の絵には構えた力みがない。自然の花や動物を自然体で観察して、それが日本画の画風に現れている。そこには小さな植物や昆虫たちの存在感ある命の営みが表現されている。

 

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 岩絵具

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  膠

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家風

 馬場恵峰先生の祖父は書道の名手で、家には書画が沢山あり、恵峰先生はその中で書画を見ながら育ったという。だから馬場恵峰先生は小学校で、担当教師の代わりにクラスの仲間に習字を教える存在になっていたという。環境が芸術家を作るようだ。

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  馬場恵峰師の16歳の時の作品

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 能や歌舞伎の家元で育った子息は、生まれながらに特別の才能を持っていると同じであろう。

 囲碁や将棋の名人には内弟子経験をした人が多いと同じであろう。

 画家を目指して、芸大に入り、絵の世界で立身出世しようと懸命の努力を続けた画家には、何か力みがあり、自然体の優しさがないような気がする。芸術は努力だけでは成功しない世界のようだ。凡人がいくら努力をしても、超一流にはなれない。努力とは別世界の話である。

 

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西洋の画風

 西洋の画家でも、絵で一旗揚げようと描いた絵には、暴力的な迫力がある。悲壮感さえ感じる。日本人の持つ優しさが無いような気がする。日本人は自然と一体感を得たいと思う。それが日本古来の伝統である。西洋では、自然も敵国も闘い征服する対象である。絵でもそういう雰囲気が出ている。日本のように人が自然と一体化する画風という世界とは一線を隔す。

 福田公美さんの日本画は、自然と一体化して自然を受けいる画風である。日本人の愛した花鳥風月の世界に合う。日本人が西洋風の絵画を画くと、日本人はどうしても構えてしまうようだ。

 

名画とは

 私の名画の定義とは、「捕まってもいいから、盗んで家に飾りたくなる絵」である。そんな絵に出会えるのが、盲亀浮木のご縁である。 私は世界の美術館の70か所ほどを回ったが、捕まってもいいから盗んで家に飾りたいという「名画」には、幸い?遭遇しなかった。だから私はお縄を頂戴せず?、塀の外で自由に生きている。

 100号のバカでかい絵、またゴテゴテと油絵具で塗りたくった絵は、日本人にも、その日本家屋にも合わない。まさかルーブル美術館にある「皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」(寸法:621x979 cm)やオランダ国立美術館のレンブラント「夜警」(寸法:363 × 437 cm)の絵を8畳の和室に飾るわけにはいくまい。

 自宅の大きさに合わせて、最適に大きさの絵を選ぶのも、自分の美的センスが問われる。世間が名画と言っているからと言って、鵜呑みにするのは、愚かである。自分には、自分の分相応の絵を選んで飾る。それが自分の美学である。

 西洋では、貴族の豪華な館でこそ映える絵が、名画と定義されているようだ。それは貴族が金に任せて画家に書かせて、富の大きさを誇る絵であるからだ。ミケランジェロの絵も、大富豪のパトロンが金を出して描かせている。

 日展や院展等の展覧会では100号以上の絵でないと、応募に受け付けてもらえないそうだ。その画材だけで8万円ほどかかると言う。そんな絵は、入選して美術館にでもお買い上げされないと、画家稼業では大赤字である。それは自宅保管となる。その保管場所と保管費用が大変だ。有名な画家でも、そういう絵の保管の為、マンションの一室を借りているという。マンションの家賃も馬鹿にできない。画家稼業も大変だ。

 

自宅に飾ると気が狂う名画

 美術館では名画扱いでも、日本の小さな我家では、名画ではない。そんな「名画」はお金をもらっても、飾りたいとは思わない。その分のお金をくれるなら飾ってもいい? 

 数十億円の大きなサイズのゴッホの「ヒマワリ」を家に飾ってどうするの、である。盗難を考えると、心配で夜も眠れない。それでは病気にもなる。ムンクの名画「叫び」を家に飾りたいとは思わない。そんな絵を見続ければ、気が狂ってしまう。ドラクロワの暗い絵を自宅には飾れない。居間が暗くなってしまう。

 そんな類の絵を家に飾るのは、絵の存在価値に対して本末転倒である。絵は見ていて心が癒されないと、意味がない。絵にもTPOがある。またその絵を飾る家の大きさも絵の評価対象である。

 

絵画も適材適所

 50号の絵では、そんな大きな絵を飾れる部屋は日本のウサギ小屋にはない。西洋の「ド高い」名画は、家に飾ると疲れると思う(幸い、そんな絵は持っていないので幸いだ)。日本の和室に似合うのは、花鳥風月の小さな作品である。せいぜい10号までの絵である。

 解剖学者、東京大学名誉教授、医学博士である養老孟司氏は「最近の日本人の精神が貧困になったのは、グローバル経済主義の影響を受けて、日本人が効率主義一辺倒、金儲け至上主義に傾倒し、日本古来の花鳥風月を愛でる余裕がなくなったのが原因だ」と言う。

 私は、幸いエリートでもなく、平凡に暮らしていて、芸術を愛し、花鳥風月の日本画をも愛でている。それでは一銭の得にもならない。だから、私は阿修羅の道を歩まず、精神崩壊もせずに幸せに暮らせている。私は『バカの壁』を超えなかったのだ? でも本音はお金も名誉も女も欲しい....?

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コスモスの秋

 今回、福田公美さんの「秋桜」を入手した。山口百恵ちゃんが歌う「コスモス」を聴きながら、さりげなく壁に飾って眺めるのが、日本流、オダブツ流である。「コスモス」を聴きながら、「秋桜」を見て、人生の秋を考える。

 人生は生老病死、人生も春夏秋冬の移り変わりである。秋は実りの季節である。高齢者には秋の風景がよく似合う。今まで収集した美術品の中から一品を選び、さりげなく飾って楽しむ。それがオーダー仏教(oder仏)、オダ仏教の教祖の美術鑑賞スタイルである。和室に溶け込み、部屋と一体となる絵が名画であると思う。そういう絵は自己主張しない。

 絵とは、自分が主人公として人生道を歩むとき、その道の風景を彩る一輪の花である。何もない延々と続く砂漠の中をとぼとぼと歩むのは寂しい限りだ。その時、オアシスに咲いた一輪の花を見つけると癒される。

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                   秋桜

 

 

2023-11-05  久志能幾研究所通信 2769号  小田泰仙

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2023年11月 2日 (木)

高齢者には「きょういく」と「きょうよう」が必要

 

 高齢者が人間として生きていくために必要なのことは、「今日行く」所がある「今日の用」があるである。それでこそ、人間として生きていける。それがないと、生きる屍として過ごすことになる。挙句に、妻から濡れ落ち葉扱いをされ、捨てられる(熟年離婚)。

 これは高齢者だけでなく、人間としても必要な素質だ。出不精者や引き籠リ、フリータの若者にも「きょういく」と「きょうよう」が必要だ。

 働き盛りの社会人でも、正規の会社業以外に、第二の人生の下準備で、やる事を作ることが必要だ。日曜日に家に籠ってテレビばかり見てゴロゴロしていては、定年後は認知症にまっしぐらである。65歳以上は15%が認知症である。入社したら、その40年後には会社生活の死が来ることは必然である。定年になってから、第2の人生の準備では、そのスタートが出遅れる。

 起きたけど、寝るまでとくに用もなし。

 生きてるけど、死ぬまでとくに用もなし。

 

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 馬場恵峰書


生きる意味

 何のために生れたのか、何のために生きるのか、やりたいことはないのか。

 なぜ死ぬのか。定年まで生きてこれたのは、社会的必要があって、定年まで社会から生かされていたからだ。生物は生殖を終わると、その生を終わる。カマキリの雄などは、生殖が終わると雌に頭から喰われてしまう。それが子供の栄養となる。サケも長い回流を終り、産卵を済ませると死ぬだけである。その肉は子供の栄養となる。雌の寿命が長いのは、子供を育てるために生きているからだ。

 男は定年後に自分で社会的な恩返しの道を探さないと、生き永らえるだけの存在になる。「生きているけど、死ぬまで特に用もなし」の存在に成り下がる。

 男が定年まで働けば、社会的な義務は果たしたことになる。子育ても終り、家のローンも終り、これからが本当の自分の人生なのだ。そのためにこそ、「今日行く」所がある、「今日の用」がある必要がある。なければ、自分で自分の用を作ることだ。それが不明なら、自分の才能や天命がどこにあるか、世間を歩いて探し回ろう。今からでも遅くない。世間を歩く距離と、出会うご縁の総量は比例する。ご縁の総量が多くないと、真の天命に出会えない。場数で勝負である。それを始めるのに、遅すぎることはない。

 

用を作る

 馬場恵峰師は中国に240回以上も旅行した。閑な隣人たちが「どげんして、そげん中国に何の用があるばってん」と噂していた。師曰く「用があるのではない。用を作りに行くのだ」と答えた。そこからご縁が生まれる。犬も歩けば棒に当る。出かけなければ、決してご縁にはぶつからない。そのご縁で、馬場恵峰師は中国浙江省に小学校を寄贈した。馬場恵峰師は「渓流希望小学校」の名誉校長先生である。その功績を含めて、馬場恵峰師は人口4230万人の浙江省で名誉市民賞を授与された。だから馬場恵峰師は94歳まで現役で活躍された。天が社会に必要と認めたのだ。

 

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「高齢者よ、大死を抱け」

 野垂れ死によりも、戦って死んだ方が死に甲斐がある。大プロジェクトを抱えて邁進し、途中で挫折してもいいではないか。そのプロジェクトの借金が返せなくても、どうせ相手も保険をかけている。高齢者の特権は「忍法踏み倒し」である。債権者もあの世までは追いかけてこない。安心して踏み倒せばよい。世のための踏み倒しなら、閻魔様も大目に見てくれよう。

 馬場恵峰師は60歳の時、社会貢献として大村市に「日中文化資料館」を建てた。家屋敷を担保に入れ、生命保険をかけ、1億円の借金を背負った。その借金を24年かけて返済した。完済時は84歳である。見習いたい行動である。その後ろ姿を見て弟子の2名は、同じく60歳以上の身で1億円以上の借金をして新事業を始めている。師の後姿の教示は素晴らしい。私も真似をする意向である。

 

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  日中文化資料館と図書館「三昧楼」  敷地350坪 大村市

  手前の松は、「迎客の松」

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2023-11-02  久志能幾研究所通信 2768号  小田泰仙

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2023年11月 1日 (水)

泣いて罵食を斬る、鳴いてプラ容器を切る、接して漏らさず害

 

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 今回、廃棄処分とした自宅内のプラスチック容器、紙製容器

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 危険なものに接すれば、その危険性が身に及ぶ。

 美味しいものには毒がある。美しいバラにはトゲがある。

 確かに、魅力的な女性は危険かも? ハニートラップにご用心。

 現代では貝原益軒の養生訓「接して漏らさず」には無理がある。便利なプラスチック容器や紙容器には危険が潜む。それで家にあるにプラ容器、紙コップを捨てることにした。便利ではあったが、知らない間に、自分の体を傷つけていた疑いがある。

 一部、小物の事務用品入れに再利用する予定。

 疑わしきは使用せず、君子危うきに近寄らず、泣いて馬謖を斬る、の心境である。

 

 私が御幼少(60年前)の頃には、癌や糖尿病、アレルギー症、認知症の人など滅多に聞かなった。当時の医療費は10兆円以下だったが、現在は43兆円を超えた。なぜ? 日本に、なぜがんがこれだけ増えたのか、なぜアレルギーが出てきたのか、認知症がなぜこんなに増えたのか。

 真の原因はわからない。凡人が出来る唯一の方法は、疑わしきものを遠ざける、である。大河の一滴かもしれないが、やらないよりはましである。私が鳴いて、一人でもそれに賛同してくれれば、少しは廃プラスチック問題が減るはずである。

 動けば、何かが変わる。私の信条である。

 

 

プラスチック製タッパー

 プラスチック製タッパーは、そのプラスチックからは有害なBPAが溶け出す恐れがある。

  ビスフェノールA(BPA)は、肥満、糖尿病、高血圧、心血管疾患など、あらゆる原因による早死のリスクの増加に関連している。

 BPAが腎臓や肝臓を傷つける。またそれががんの要因とも噂される。それが原因で、学校の給食容器からプラスチック製が排除された。

 

ペットボトル飲料

 「500mlのペットボトル1本に、平均50個程度のマイクロプラスチックが含まれている。これらは自然界にない異物なので、生物が消化できない。体内に蓄積されていけば、炎症性の腸疾患などの病気のリスクにもつながる。」(東京農工大学 高田秀重教授談)

 

紙容器のホットコーヒー

 同じように紙コップには、プラスチック皮膜が施されている。そうしないと紙材だけでは、高温の液体を保持できない。そのコップからから平均20個程度のマイクロプラスチックが含まれると推定される。特に、ホットコーヒーで飲む場合はその危険性がある。

 

 

 

2023-11-01  久志能幾研究所通信 2767号  小田泰仙

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