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2023年9月 2日 (土)

72歳は健康人生の終焉、「死路」の未知を学ぶ

 

 日本人男性の平均寿命は81歳だが、平均健康寿命は72歳である。多くの場合、72歳以降の9年間は病院通いか寝たきりかの人生となる。72歳とは健康人生の終焉である。最近、体の不調でそれを痛感する。

 

 60歳の筋肉量は、若い頃の半分になっている。筋肉は成人以降、年1%ずつ減っていく。これは自然界の原則である。

 同じように40歳を超えると脳の容積は、年0.5%ずつ減っていく。これは平均値で、意識しないとその速度は増える。平均値からの単純計算でも、70歳ともなれば、40歳時に比べて15%も脳の容積が減っている。記憶力が衰えて当たり前である。要は物忘れが良くなったのだ。都合の悪いこともすぐ忘れる。喜ばしい?

 

 それに伴い免疫力は若い頃の半分になっている。だから60歳を過ぎるとがんの罹患率が急速に上がってくる。自然界の法則である。私も69歳でガンになった。

 がん研究振興財団の統計(2015年)によると、一生涯のうちに何らかのがんになる割合は、男性で60.0%、女性で44.9%とされる。

 劣化した日本社会ががんを量産している。意識しないと、拝金主義者たちの金儲けのために癌にされ、その餌食にされる。がん治療でさえ利権産業である。

 

 65歳を過ぎると15%の人は認知症になる。75歳ともなると25%が認知症である。

 人生は生老病死である。それを痛感する期間が、72歳から死までの9年間である。

 

 健康寿命の72歳となれば、健康人生は終わりを迎える。その後は、自分は病人であると割り切って過ごせば気が楽である。無理をするから老年が辛くなる。老人は、無理をする必要はない。

 

 散歩はリハビリテーションと割り切って治療として歩けばよい。そうすれば自分の体を治そうと頑張れる。若い頃の様に、運動して体力をつけねばとの義務感も不要だ。散歩をすることが義務ではなく、気分転換も兼ねた必要な治療として前向きに取り組めばよい。

 

 食事も病身の自分の体の治療のための病院食と思って、体に良いものを食べればよい。いままで散々美味しいものを食べてきたので、その治療が必要である。美味しいものには毒がある。美しいバラには、トゲあると同じだ。そのため病院食として制限があるのは当たり前。そう思えば気が楽だ。

 加齢により免疫力が低下しているから、添加物等の毒物は避けたい。弱った体をいたわろう。若い時に比べて、毒物に対して抵抗力が半分に減っているのだ。

 

「死」という名のプロジェクト

 死は人生最後の最大のイベントである。「死」の路は、未知の路である。その路で失敗するわけにはいかない。今までの人生の生き方が問わる路でもある。準備には9年もあるはずなので、ゆっくり緻密に進めればよい。

 元気いっぱいの時に死ぬのは生木を裂かれるように辛いが、少しずつ全身の細胞が衰えて行き、老衰で死ぬのは自然である。そうなれば枯れるように倒れるので、苦しみも少ないという。

 

人間の完成

 ヒトは動物して生まれて、最終目標の人間となるべく、学び続けて生きる。動物として生まれて、学ばずに生き、動物のままで死んでは、犬畜生と同じである。それは避けたい。自分の人間としての未完成部分を見付けて、死ぬまでそれを修正すべく学び続けたい。

 

着陸、死のアプローチ

 私は人生を飛行プロジェクトとみなしている。人は朝の離陸時、希望を持ち大空に飛び立つ。昼は精一杯の努力で頑張り目的地を目指してひたすらに飛ぶ。目的地の空港上空に到達すれば、着陸の準備をする。死のアプローチである。

 着陸準備では、今までの飛行の安全に感謝して、飛行最後の仕事をする。着地前に不要な燃料(資産やしがらみ)を捨て、身軽になって着地である。そうでないと機体が重すぎて地面に激突である。着陸前に、チェックリストに従い、人間として最後の仕上げの確認をする。それが人生最後の9年間の仕事である。自分は人生飛行機の機長なのだ。

 

着陸時の逆噴射、人は飛行の最期で間違える

 1982年2月9日、日本航空の DC-8機350便が羽田空港沖に墜落した。350便は福岡空港発・東京国際空港行の定期便で、乗員乗客174人中24人が死亡し149人が負傷した。

 この墜落は、機長が着陸進入時、錯乱してエンジンを逆噴射したのが原因であった。機長は精神を病んでいた。

 

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 着陸は美しく決めたい   セントレアにて

 機長の精神が正常であれば、美しい着陸となるが、機長が錯乱すれば、大惨事である。

 人ごとではない。誰でも人生飛行の最期は着陸である。

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人は最期に間違える-1

 人も往々に死の直前に錯乱して、死の準備を間違える。知人の叔母(約80歳)は、乗り合わせたタクシーの運ちゃんの困窮ぶりに同情して、彼を家に引き入れて自分の面倒を見させるようになった。その男はアパートの家賃が払えないほど困窮しており、老女の家に転がり込んだのだ。それでその男の身上が分かる。死の半年前に、老女はそのどこの馬の骨ともわからない男を正式の養子にしてしまった。

 知人はその錯乱状態の老女から、養子の手続きの手助けを泣いて懇願されたと言う。知人は異常さを感じて身を引いたと言う。

 その結果、その老女の愚行のため、ご先祖が汗水たらして蓄えた財産の3分の一が、この男に遺産分与として行ってしまった。その額、約1億円である。つまり惚けた金持ち老女を誘惑するのは簡単だ。老女を1年程介護して、遺産の1億円をゲットである。詐欺に近い。法律的に正式に養子縁組をしているので、2人の実子は為す術がなかったという。

 生前の生活の如何と育てられ方如何で、愚かな人は死の直前に大きな間違えをするのだ。彼女は金持ちの家で蝶よ花よと育てられ、世間の厳しさを学ばなかったようだ。それで、人生の着陸時の逆噴射である。そしてご先祖の顔に泥を塗った。その遠因はその老女と実子の嫁との確執もあったようだ。結果として、実子を悲しませた昨年の事例である。なぜ老女がそんな行動に出たか、なぜそう追い詰められたか、相応の理由があるはずだ。遺族はその真因を考えて反省すべきであろう。遺族の今の考えが、今後の人生に影響するだろう。この件は、他山の石としたい。

 

人は最期に間違える-2

 1980年代のバブル末期には、「自分が死んだら、買い集めた絵(数億円の価値)を自分の棺に入れて、一緒に火葬して欲しい」という成金まで現れた。世も末である。完全に死の準備を間違えている。芸術作品は社会の財産である。いくら金を出しても、あの世に持って行く権利はない。守銭奴の醜態である。そのバブルも1991年にはじけた。経済活動で生まれたバルブも生老病死の一過程である。

 

死の床での感謝

 お釈迦様は80歳で入滅された。日本人男性の平均寿命が81歳なので、2000年かけて、日本人も寿命だけの面だけで見れば、やっとお釈迦様レベルにまで成長したのだろう。自分もその歳までは生きるべく精進をしている。

 一緒に仕事をした仲間の20余人が、天寿を全うせず60歳までに世を去った。自分は過酷な労働環境下でも、古希まで生かされたことに感謝したい。あと少しの間、少しでもお釈迦様の精神面レベルに近づくべく、死まで精進をしたい。死後、佛を目指して仏道を励む方を菩薩と言う。死ぬまで佛を目指して精進する人を、生き菩薩という。別名、生涯現役の人である。

 私は死の直前まで普く賢く生きたいと願っている。

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 普賢菩薩像 大仏師松本明慶作

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  馬場恵峰書

 

2023-09-02  久志能幾研究所通信 2735号  小田泰仙

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