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2023年7月30日 (日)

死望の道、命を全うさせる

 

 死とは、生を全うした最終の姿である。与えられた生を全うせず、途中で終わるのは、死とは言えない。それは中断、途中挫折である。人間の場合、それは殺人ともいえる。自分で、自分の命を粗末にして、あるべき生を全うできなかったのだ。稀有な命を早死にさせたのだ。

 人間が生まれるという生は、1億円の宝くじが連続で百万回あたるのと同じくらいの確率である(村上和雄筑波大学名誉教授談)。そんな稀有な「生」だから、それを途中放棄せず、全うすべきである。その最終の姿が「死」である。生を全うすれば、その死は美しい。

 

「自分の命を使い切って死にたい」(樹木希林)

 樹木希林さんは全身がんに侵されながら、女優活動を最期まで全うされた。最後の1か月程は寝込まれたようだが、それでも最後まで全力で生きた。見習いたい生き方だ。

 

 どんなものでも生老病死である。死とは、生と言うプロジェクトの完成であり、与えられた使命の完遂の姿である。それは天寿といって、その死は喜ばしいことだ。

 

「四時の序、功を為したものは去る」(『十八史略』)

 四時とは春夏秋冬のこと。自然の営みでは、春が終われば、夏がやってくる。その逆は絶対にない。人生も同じで、生を受け、青春を全うし、盛夏でがむしゃらに働き、秋になり現役を引退し、老いて死ぬ。それが宇宙根源の法則である。時がくれば死の道に入っていく。それが正道である。

 

 しかし、死にたいのに死ねないのは、地獄である。それが非道である。手足を縛られてベッドに固定され、胃瘻で生き永らえさせせられるのは、地獄である。尊厳死とは程遠い姿である。それは敗北の死である。そんな病人が日本には26万人もいるという。私が患者なら病院での延命治療を拒否して、自宅で家族や看取り士に看取られて、安らかに死にたい。それが死望の道である。

 胃瘻は、家族の間違った死生観である。家族は世間体を気にして胃瘻をして植物人間をつくりだす。現代医学を悪用した偽善である。人は食べられなくなったら、死ぬ。それが宇宙根源の法則である。それに逆らうのは、非道である。

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 死望を持って、焦ってはいけない。

  死望とは、与えられた生を全うすること。

  四時の序を守ること。

 進むには目標を立てよ。

  何のための生なのか、自問せよ。

  この世で使える総時間が「生」である。

  その時間を全うせよ。

 そして順序を誤るな。

  四時の序を守って、生を全うせよ。

  その目標達成のためには、順序がある

 

 仙里の道も1歩から

  古代中国では、老年期の理想は、仙人になることという

  それは使命を果して、世を去ること

 

 

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  馬場恵峰書

 

2023-07-30  久志能幾研究所通信 2723号  小田泰仙

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