70年前のタイムカプセル(1)教育の遺品
押入れの中を整理していたら、70年前の資料や物品が出てきた。まるで70年前のタイムカプセルを開いた感じである。おもちゃ箱をひっくり返した様なワクワク感が出た。その中の物品を見て、当時の状況を思い出して、当時の両親の自分に対する想いに改めて感謝の念を抱いた。
自分にとって大切な人が自分にしてくれた思いや魂が、資料や物品に籠っていた。その思いが染み込んでいたとも言える。世間では断捨離が大流行だが、私は断捨離に反対だ。私の方針は整理整頓清潔清掃である。断捨離をするとすっきりするかもしれないが、大事な想い出や魂まで捨てることだ。それは自分の歴史を捨てる事。思い出こそ、人生である。その思い出を共有するから家族である。頭の中の記憶だけでは、その思い出は風化していく。しかし形あるモノは何時までも残り、嘘をつかない。思い出は、かってに美化しすぎてしまうこともある。
下記はカプセルから出てきた思い出の品
珠算能力検定合格證書 7級~9級(昭和35年) 当時10歳
当時、私は、大衆浴場の二階の大部屋のそろばん教室「大石高等速算学校」(大垣市林町)に通っていた。天井の低く広い教室であったのが記憶にある。自分で希望して通ったのではなく、両親が通わせたのだ。周りの仲間がそろばん教室に通っているので、大事な息子も世間に遅れてはならずと、通わせたのだろう。本人は周りの雰囲気に巻き込まれてソロバンを習っていた。
絵画コンテストの入選賞状
当時、小学生の私は、水彩画で各コンテストに先生から言われるまま応募をして、入選作は数え知れずである。せいぜい入選までだが、それでも実績はあった。両親はなぜか絵画教室に通わせてくれた。自分達にはなかった情操教育をさせたかったのだろう。賞状は多く残っているが、肝心の作品は1枚も残っていない。それが心残りである。当時はカメラがなかったのだ。
今思うと両親は私の教育に人一倍熱心であった。父は尋常小学校を出ると、すぐ丁稚奉公に出されて、苦労をしてきた。父も絵を描くことは好きであった。その思いを息子にはさせたくないとの思いであったと思う。当時はまだまだ貧しかったのだ。
その賞状の束の中に挟まった「寄生虫卵検査検査証明書」(社団法人 岐阜日日新聞社会事業団)も出てきた。たぶん私が小学校低学年の時だろう。宛先は「保護者殿」である。裏面に「明るい家庭に郷土の新聞 岐阜日日新聞」とある。この裏面を見ると、当時の社会情勢が垣間見える資料である。
当時は私の家族は紡績工場の社宅住まいで、トイレも汲み取り式で、トイレットペーパーなどはなく、古新聞で拭いていた。お風呂も社宅住宅地内にある共同の大風呂である。まだまだ貧しい日本社会であった。
そんな環境で、息子の教育には力を入れてくれた両親であった。その後、中学に入ると英語塾、学習塾に通うことになった。それがあるから今の自分がある。感謝である。
T定規
中学の図工の学科と大学の製図で使ったT定規が2本出てきた。中学用のT定規は、父が作った布製の袋に入っていた。大学でつかったT定規はビニール袋に入っていたが、50年も経っているので、ぼろぼろになっていて捨てた。しかし父の作った布製の袋はまだしっかりしていた。今にして父の愛情を感じた。
後日、ドラフターを買って貰ったので、T定規は使わなくなった。それでも捨てずに保管していた自分を褒めてあげたい。そのドラフターは処分してしまったが、昨年、中古で再度入手をした。やはり私には技術者の血が流れている。
下のT型の布袋が父の製作(父は内職で洋裁をやっていた)
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大学時の製図実習の図面 22枚
当時、ドラフターを使って、鉛筆手書きの図面をケント紙に実習として描いていた。その出来を見ると、「いい仕事してますね」という思いである。今からではとても捨てられない。正式のファイルボックスに保管予定である。
2023-07-06 久志能幾研究所通信 2716号 小田泰仙
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