柴田節郎陶展 作品紹介 地獄で見つけた顔
3月5日~3月28日、岐阜市川原町 Gallery Saganで「柴田節郎陶展」が開催されている。そのうちの「顔」の作品を紹介する。
地獄の季節
顔にその人の人格の全てが表れる。顔はその人の歴史も表す。だからリンカーンは、「男は40過ぎたら、顔に責任を持て」と言った。
私の趣味は人間ウォッチングである。観相学を駆使して人の顔を観ている。口ではいくらでも胡麻化せるが、顔の造形は胡麻化せない。
己の心には佛も住めば、鬼も住む。己の心は百面相である。柴田節郎氏の「顔」はそれを表現した作品だと思う。
写真集「地獄の季節」は、作陶家・柴田節郎の80年に及ぶ創作の記録である。その写真集には氏の遍歴がつづられている。氏が地獄を見たわけではないが、潜在意識に地獄があり、それが作品の投影されているようだ。
顔が表す心
ある人の顔を見れば、性格も人格もわかる。その人の品性や知性、考え方が顔に表れる。その人の人生の歴史で、日々の場面、場面で何を考え、どう行動してきたか、その積み重ねで人の内面が育まれて、それが「顔」に滲み出てくる。
そこには狂気さえうかがえる場合がある。その狂気の気配を知ることが、人生で地雷を踏まずに過ごす知恵となる。KKの顔も凶相である。
だから私は凶悪犯の写真がネットに出ると、それをデータベースとして保存して何度も観察をしている。何度も観ていると、それとなくその人が持つ狂気が顔から透けて見えてくる。それが認識できることも人生の危機管理である。君子危うきに近寄らず、である。
芸術家はその顔をディフルメして、その人間の内面をあからさまにしてくれる。芸術家の感性は、常人とは違うのだ。芸術家には損得感情も好悪感情もなしに人を観察できる。すばらしい観察眼である。それがあれば、人生で騙されることはないだろう。
地 水 火 風 の根源的な要素を
時には苦悩し、時には自在に操りばがら
”土”という手段を通して彼が表現しようとしているのが、人類の
普遍の共感を誘うなにものかである。
土に刻まれた記憶が節郎氏の手技によって
今、ここに呼び起され、形になる。
メモワール /2007
ファンの美女に囲まれ極楽の柴田節郎氏 Saganで 2023年3月5日
写真集「地獄の季節」より
2023-03-08 久志能幾研究所通信 2635 小田泰仙
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