« 裏切りの安全神話 がんリスク、和菓子の添加物 | メイン | 新興宗教に洗脳された家族 »

2023年2月23日 (木)

スマホ捨て 身辺整理 成仏す

                                 

 最近は、猫も杓子も皆がスマホを持っている。電車の中でも大勢の人が信徒のように、教祖のお告げを拝聴するが如く黙ってスマホの画面を見つめている。まるで統一教会信徒の修学旅行?のようで、不気味である。友人が訪ねてきても、会話もせず黙ってスマホの画面を見つめていることが多い。何の用で来たのだ?と言いたい。人に対して失礼の極みだ。まるで洗脳された統一教会信徒のようだ。

 だから仙人を目指す私は、その狂気の嵐に押し流さたくないと思い、スマホを捨てる決断をした。そしてスマホの解約である。

 そのお陰で私は強欲我利我利亡者達と悪縁が切れ、幸せな仏の世界を楽しんでいる。それが今までどれだけ異常かは、ネット上のスマホCMの過剰さを見れば、よくわかる。ただしその頭がスマホに洗脳されていると、それ認識ができない。

 

昔はビジネス戦士、今は有閑地方(痴呆?)老人

 私は、有閑地方(痴呆?)老人である。最近の生活を総括すれば、年金暮らしの閑な私には、スマホは不要との結論であった。私は、昔はバリバリのビジネス戦士であったが、今は秒を争って仕事などはしていない。

 長年の携帯宗教戦争の挙句、携帯電話会社の興亡が続き、そのたびに契約先を変えさせられた。ガラケイで十分なのに、スマホに移行させられた。その後、3Gで十分なのに、なかば強制的に4Gに変えさせられた。

 友人に洗脳されて、2年前、ガラケイからスマホに宗旨替えをさせられた。彼はスマホ洗脳教団の拡販信徒であった。

 当初はガラケイのかけ放題で月2千円程であったが、今はその料金が6千円から1万円ほどになった。なにかおかしい。20年間で144万円の費用である。要はスマホ教団へのお布施なのであろ。今のスマホにそれだけの付加価値があるか、疑問を覚えた。

 スマホ本体の値段10万円にも疑問を感じる。高すぎる。私には不要のカメラ機能までついている。前職では、会社に携帯を持ち込むためには、カメラのレンズ部を封印しないといけなかった。会社では機密保持の関係で、カメラは持ち込み禁止なのだ。

スマホ不要の仕事環境

 固定電話でも同じ仕事が出来る。私の自宅の電話の親機も子機もワイヤレスである。それも全会話が自動録音である。電話は光契約なので、全国どこでも市内通話と同じ料金である。

 デスクトップパソコンでは、もっと大きな画面で、同じ作業が短時間に出来る。自宅では、書斎での仕事とは別に居間でWiFiでノートパソコンを使い、スマホでやれる以上の仕事をこなしている。

 私は、出先でスマホを使う頻度はごく少ない。出先での仕事は、ホテルや各所のWiFi利用でノートパソコンで可能だ。それならスマホは不要である。スマホが無くても、出先での連絡はどうにでもなる。出先でスマホを使わねばならないときは、その事前段取りが悪かった時である。それは自分の責任だ。だからスマホは不要と判断した。

 要は、私は外出中に、その出先で、チンタラチンタラと痴話話をすることもないし、動画を見ることもない。ましてや、私はスマホゲームなどしない。私はそんなに暇ではない。つまりスマホは私の行動様式に合わない。

 

詐欺同然、新興宗教団体と同じ

 スマホを買い、ドコモと契約したら、そのスマホには、最初からデズニィー動画の契約が組み込まれており、強制的に毎月700円が強制的に徴収される契約であった。年間で8400円のお布施である。その解約手続きは非情に面倒で、自分自身でややこしい解約手続きを取らねば、それが解約できない。それでは詐欺と同然である。まるで新興宗教団体と同じである。新興宗教団体からの脱会も困難を極める。

 

スマホ洗脳

 ネット情報の99%はゴミである(藤原正彦氏談)。スマホに左右されると、ついそのゴミ屋敷の世界に吸い込まる(洗脳)。

 有閑地方(痴呆)老人は、残り人生を考えるために忙しい。一般国民の標準の残り時間は15年ほどしかないのだ(厚生労働省資料で)。その大事な時間をスマホは誘惑して巻き上げる。ついでにお布施としてお金も。スマホ宗教に付き合っていても、私にはなんのメリットもない。私は人生の仕上げをするため、死の準備で忙しい。人生で最後の最大のプロジェクトは自分の死である。

 スマホでゴミのようなネット情報を漁るなら、その時間を読書に当てよう。思索の時間に当てよう。戦争の時、死が直前の前線に近いところに行くほど、下世話な本など読む気がなくなるそうだ。その場所では哲学書とか宗教書しか読まなくなるという。 還暦や古希を過ぎれば、何時お迎えが来てもおかしくない。真剣に人生最後のプロジェクト「自分の死」を考えよう。

.

スマホの使い過ぎの害

 スマホ中毒になると集中力低下、思考障害、視力低下、睡眠障害、心身の不調などが起きる。学生は学業が影響を受ける。ビル・ゲイツは子供が14歳になるまでスマホは持たせなかった。彼はスマホの害を知っていた。

 だから当然、自分の人生の仕事にも悪影響が出る。私は今、大事なプロジェクト「死の準備」に取り組み中である。スマホに洗脳されると、その成果が低下するのは間違いない。大問題である。だから私はスマホを捨てる決断をした。

 

あと何年生きられる?年齢別「平均余命」早見表 | 幻冬舎 ...

https://gentosha-go.com/articles/-/34400

ウェブ2021年5月26日 · 年齢別「平均余命」早見表 | 幻冬舎ゴールドオンライン. あと何年生きられる?. 年齢別「平均余命」早見表. いつまで生きられる?. 平均余命0~50歳. 出 …

 

 

 

セネカ著『人生の短さについて』 

時間の浪費  

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。

.                                            

  中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』(岩波書店2003年)とは、ローマで最裕福者かつ最高権力者であった哲人が書く人生訓である。セネカは最高権力者に上り詰めるが、所詮は、暴君のネロの掌の上でもがく弱い人間でしかなかった。時に8年間も地の果てに左遷させられた身、常に身の後ろに死の影を見ながら生きた哲学者であった。最後はネロに自殺を強いられる運命に弄ばれる。それを予感した所感や心情が彼の記述から見えてくる。しかし彼はうろたえることなく毅然として死に就く。そうさせた彼の思想がこの書に表されている。

 哲学とは思考ではなく、行動であることを示唆してくれる書であった。行動がないと何も始まらない。行動から思考が生まれる。セネカは最高の仕事師であった。だから、思考の達人として、人生哲学を究めことが出来たと思う。彼は、一日を一生として、全力で生きた人なのだ。

 一日一日を全力で生きる人間に変わらない限り、どんなに悩んでも、どこへ旅行しょうが、事態は変わらない。なぜなら、同じ原因を自分内部で内在して生きる限り、何をしようとも同じなのだ。自分を変えるには、まず動きなさいとセネカは言う。一日一日が一生の縮図、今日一日が最後の日と思い、全力で生きる。そうすれば神になれる、と。神は細部に宿る、と同義語である。徳と元気に溢れる人は、神に似ているという。神とは自分の内に内在する存在である。セネカは理性に従って生きることを推奨している。内なる理性や自然に従うことが神であるともいう。

 有限の時間を意識したセネカの言葉は重い。そういった思いでセネカの言葉を読むと、死を意識した哲学者の言葉は重く伝わってくる。生が永遠に続かないことが啓発され、生きる意味を考えさせてくれる書でもある。私は愛読書のベストテンに入れた。

                              

Img_64031s

2023-02-23  久志能幾研究所通信 2623  小田泰仙

累計閲覧総数  368,150

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

コメント

コメントを投稿