言志四録 吾が心を礼拝す
幸せになりたいと神にアーメンと祈る。極楽に行きたいと仏様に念仏を唱える。しかし、何度も祈っても、何千回も唱えても、神佛は見守っているだけで、何もしてくれない。他力本願では幸せになれない。自分を幸せにするのは、吾である。
その幸せは自分の心が決める。幸せになるための行動は、自分の心が決める。それなのに、どうしてその吾が心を拝まないのか。その行動を決めるのは自分だ。その行動が、幸せになるために、「それでよいか、良いか」と自分に問い、反省を繰り返すべきなのだ。その反省もせず、猪突猛進するから墓穴を掘る。
馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」五十一選訓集』久志能幾研究所刊
吾とは
「口」は神様へのお祈りに使う器、「五」は木の枝を交差させて2重に重ねた蓋を表す。ここから「吾」には「(祈りの効果を)とどめる、防ぐ」の意味がある。
六根清浄
六根(仏語)は人間の認識の根幹である。心的作用にはたらく六つの器官を言い、対象に応じた認識思惟の作用のある器官をいう。その6つとは、眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根である。それが我欲などに囚われては、正しい道(八正道)を往けない。そのため我欲を断ち、心を清めることを六根清浄と言う。そのためには、不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じない、を実践することだ。そのために、修行として俗世との接触を絶つ山籠もり等が行なわれる。
八正道
八正道とは、涅槃に至るための8つの実践徳目である。その8つとは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。八正道は釈迦が最初の説法において説いたとされる。
正見
「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」と釈迦は説かれた。トヨタ生産システムで言えば現地現物である。松下幸之助翁が説いた「素直な目で視よ」である。
思惟
正思惟とは、正しく考え、判断すること。出離(離欲)を思惟し、無瞋を思惟し、無害を思惟する、である。逆に避けるべき思考は、邪思惟である。
正語
正語とは、妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、離間語(陰口,仲違いさせる言葉)を離れ、粗悪語(誹謗中傷,粗暴な言葉)を離れる、である。
正業
正業とは、殺生を離れ、盗みを離れ、非梵行(性行為)を離れることをいう。五戒の不偸盗、不邪婬に対応する。この二つは正思惟されたものの実践である。
正命
正命とは、殺生などに基づく、道徳に反する職業や仕事はせず、正当ななりわいを持って生活を営むこと。命は単なる職業というよりも、生計としての生き方をさす。
正精進
正精進とは、四正勤、すなわち「すでに起こった不善を断ずる」「未来に起こる不善を起こらないようにする」「過去に生じた善の増長」「いまだ生じていない善を生じさせる」という四つの実践である。現代風に言えば、危機管理、再発防止、予防保全である。
正念
正念とは、四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に現在の内外の状況に気づいた状態が「正念」である。トヨタ生産システムで言えば、5S(整理整頓清掃清潔躾)、現地現物である。
正定
正定とは、正しい集中力の完成である。この「正定」と「正念」によってはじめて、「正見」が得られる。いわばカンバン方式のジャストインタイムである。
唯我独尊
自分が神仏になって、八正道を実践すれば幸せになれる。誰にも頼らず、神仏にも頼らなくて済むので、ストレスなく生きていける。超楽ちんである。それが唯我独尊である。トヨタ生産システムで言えば、自工程完結である。
「世界で尊いのは、この世の存在する全てである。我々は、ここに生まれてきたが、再びは生まれない。この広い世界に生れてきた我々には、各人に与えられた尊い使命がある。そのために我々が解脱する。それが唯我独尊である」と釈迦は説かれた。
2023-02-14 久志能幾研究所通信 2615 小田泰仙
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