一念の計は、山籠もり禊にあり
今年の大晦日と元旦は、大垣フォーラムホテルに籠って「一念の計(一年の計)」を考えた。山籠もりとして、ホテルの最高の部屋に籠り、外界の喧騒を断ち切り、冷水で身を清め、今までの人生の振り返り、今後の人生を考える時間を持てたのは、有意義であった。それは私の禊ぎでもあった。それが一事一心一念道である。
大垣フォーラムホテルさんからの厚遇に感謝である。これも亡き馬場恵峰先生の陰ながらの御差配と感じた。
展望
その修行は、ホテルの天井界(8階)にある一番大きな部屋を利用した。その部屋は通常の部屋の3倍の広さである。寝室も居間とは別にあり、トイレも洗面台もクローゼットも2つある部屋である。居間には台所の流しも備わっている。宮様も利用するお部屋である。天上界からの展望も素晴らしく、初日の出(ただし1月2日。元旦は寝過ごして拝めなかった)も拝めた。冷水シャワーで身も清めた。
また展望の視野内に、元三洋電機(羽島市)のアーチ型の巨大なソーラーパネルも眺められて、その最後の姿を拝んだ。このパネルは今年中には撤去されるとのこと。時代の流れを感じた。その現実に万物の生老病死を突き付けられた。生物だけではなく、建物にも生老病死があり、永遠の命はないことを思い知らされた。
やりたいことが出来るのは、生きているうち、今のうちなのだ。自分の今までの人生を展望して、残りの人生を精一杯に生きようと決意した。今、生きていることが奇跡なのだ。
人の生は偶然だが、死は必然である。
人生計画は死から逆算して、立案すべきである。
いつまでもあると思うな 親と自分の命。
天井界の部屋
元三洋電機のアーチ型ソーラーパネル ホテル8階の部屋より 2023年1月2日
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振り返り
生老病死、ご縁は夢幻
この部屋は、2018年4月、私が馬場恵峰先生ご夫妻を彦根と関ヶ原合戦場跡に案内した後、大垣で恵峰先生をお泊めした部屋である。翌日、私は恵峰先生ご夫妻を名鉄犬山ホテルへレクサスLSでお送りした。三根子先生に大変喜んでもらえて幸せであった。
そのレクサスLSも、恵峰先生が大垣に来られることが決まり、それならばと構えていたら、ご縁で直前に入手できた。しかし、私はレクサスLSの維持費の高さに音を上げて2年後には手放した。別荘と二号さんは、持ってはならないのだ。乗らない時の維持費が大変なのだ。しかしそれも良きご縁で、よき経験であった。早からず、遅からず、ご縁はやってくる。恵峰先生ご夫妻をレクサスLSで送迎できたことは稀有の必然のようなご縁であった。今は、レクサスLSを買う気になれない。それは佛のご差配であったようだ。レクサスLS所有は108の夢の一つであったが、実際それを所有して見ると、「ああこんなもんか」と現実に目が覚めるのだ。それも良き経験である。今ではそれは夢幻であった。それも人生を振り返るための貴重な経験である。人生ではやってはいけないことをやってみて、やってはならないと悟るのだ。人とは愚かな存在だ。
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「佛様のお裁き」
その翌日の10月21日、馬場恵峰先生は塾ОB会の講師として、名鉄犬山ホテルに泊られた。しかしそのホテルは1年後の2019年8月に急に閉鎖された。耐震強度問題が露見して、安全上の観点で、取り壊されてこの世から消滅した。それも因果である。先生が泊まられた時、事故が起きなくてよかったと思う。宿泊客の命を最優先にした名鉄さんの決断は素晴らしいと思う。建物さえ、生老病死の因縁があり、あっという間に消滅する。まるで人の生死のようだ。
それが今回、ご縁があり、私自身が大垣フォーラムホテルのその部屋に泊まることになった。自分でその部屋に泊まってみて、恵峰先生ご夫妻を極上のいい部屋にお泊めして良かったと改めて思った。
翌日に恵峰先生が泊まられた名鉄犬山ホテルの部屋は普通室であった。馬場恵峰先生はその会の講演者なのだから、一般よりも格上の部屋にすべきだと思う。それが講師の先生への敬意である。
その酷い扱いに比べて、私はよいことをしたと、改めて4年前のことを思い出し、嬉しくなった。それは名鉄犬山ホテルを予約した幹事達の人格の低さから起きた事件である。人格に低い人間は、何をやってもダメなのだ。当時、私はその幹事たちと事前準備をしている途中で、彼らの人格の低さに反吐が出て、私は幹事役を辞退して縁を切った。
「佛様のお裁き」が、幹事達のドタキャンの露見とその後の不祥事である。そしてその思い出のホテルの取り壊しである。私は、その時の自分の絶縁の決断を褒めてあげたいと思う。悪縁と付き合うと、その分の大事な人生時間が潰される。
そのOB会の直前、その幹事たちのドタキャン失態が露見した。私はその幹事役を降りていたので関係が無かった。しかし馬場恵峰先生の名誉のため、私はその後始末に走り回ることになった。恵峰先生と相談して、迷惑をかけた旅館に塾ОBの代表としてお詫びをして、先生の書を進呈した。その書は「縁あって花開き、恩あって実を結ぶ」の掛け軸であった。
違和感を覚える人との付き合いは、心配が現実の危ない事件に発展する。この件で、よき知恵を授かった。その感性を大事にすることが危機管理である。
名鉄犬山ホテル 2018年3月27日撮影(事前調査で訪問)
その1年後、取り壊された。その跡地には2022年3月1日、新しいホテルが開業した。
名鉄犬山ホテル前の駐車場で この車で恵峰先生を送迎した。
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歳月人を待たず
その翌年の2019年2月、私はガンの手術を受け、病床に伏した。手遅れ寸前で5年後の生存率は、51%の状態であった。なんとか生き延びることが出来た。佛さまが助けて下さったようだ。
その10か月後の2019年12月13日、恵峰先生は自身の死を悟られたようで、中国へお世話になった方々に最後の挨拶をするため中国旅行に出発された。その前日、「夕焼け小焼け」の童謡の意味を先生の教室で解説された。それが恵峰先生の生徒たちへの最後のメッセージであったようだ。三根子先生は、その3か月後の2020年3月3日に突然、亡くなられた。それから新型コロナウイルスが猛威を振るい、私が九州に行けなくなり、8か月が経ったら、恵峰先生が倒れられた。その後、一月ほど寝込まれ2021年1月1日、亡くなられた。
恵峰先生が死の床で繰り返し口にされたのは、「縁あって花開き、恩あって実を結ぶ」、「ありがとう、ありがとう」の感謝の言葉であった。
もう恵峰先生をこの大垣フォーラムホテルの部屋にお泊めする機会はこない。私は1週間前(2022年12月24日)に馬場恵峰先生の三回忌に参列したばかりで、一連の流れに、歳月人を待たず、を痛感した。
故馬場恵峰先生の高台に立つ図書館2階の書斎からは、長崎空港、九州高速道路、長崎新幹線(当時は建設途中)が眺められて、恵峰先生は、よく思索にふけっておられた。このホテル8階からの眺めも、同じように、名神高速道路の車、東海道新幹線の走る姿が眺められて、感慨にふけさせられた。
日中文化資料館の図書館2階からの眺め 2011年4月2日
大村湾の長崎空港と目の前に九州高速道路と長崎新幹線の予定地が見える。
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今後の計画
ホテルでのお仕事
私は、その部屋の6人用会議机に資料を広げ、もう一つの机にはノートPCを置き、人生計画作成のお仕事に没頭した。作業エリアが広く、資料を広げたままに出来るため、私は今までになく快適に思索を練ることが出来た。年に一度、静かな環境で自分の人生を振り返ることは良いことだ。
部屋には計2台の大型テレビが設置されていたが(居間に1台、寝室に1台)、一度も電源は入れなかった。未来の計画をして夢を見たいのに、下世話で騒々しいテレビなど見る気にならない。
禁酒しているので酒は一滴も飲まず、コーヒーと白湯だけで過ごした。この宿泊は、今までの穢れを落とす山籠もりの禊なのだから。
持ち込んだ資料は、
「人生計画・自戒」のクリアファイル、
「死ぬまでにやりたい108の夢」のクリアファイル、
「人生の課題」のクリアファイル、
青山俊董著『わが人生をどう料理するか』、
叔母が青山俊董堂長より頂いた本で、叔母が私に贈ってくれた。
青山俊董堂長は、私の叔母(京都の尼寺の住職)の師である。
田口佳史著『超訳 言志四録』、
松本明慶友の会会誌「苦楽吉祥」最新号、
大村智博士の新聞記事、
書抜きした京大カードから抜粋した約50枚で、ある。
「人生計画・自戒」のクリアファイルには、「18歳から105歳までの人生実績・計画表」、自戒の言葉、「家系図」、研修記録、自分の性格分析等がファイルされている。自戒の言葉や年度計画も40年前からの資料が残してある。その変遷が、それで自分の歴史であり、自分の成長も辿れる。年に一度、それらを見直して今後の10年間の予定を考えている。
「108の夢」のクリアファイル、には「死ぬまでにやりたい108の夢」の資料がファイルされている。今までの実績、これからやりたいことのリストを更新した。まだやりたいことが108個まで出しきれていないのが残念だ。紙にやりたいことを書いておくと、自然と実現するものだ。夢の実現には、まず見える形にするのが、秘訣である。
「課題」のクリアファイルには、教育問題、認知症問題、少子化問題、日本再生、大垣再生、資金調達等の自分で考えたいテーマの資料(雑誌の切り抜き等)をファイルしている。それを見直して、新たな知見を書き込んだ。
溜め込んだ情報と知識を、賢さで智慧に消化すると新たな知見が浮かんでくる。そのために場を変えてみるのも効果があった。それも極端に変えるのも良いことだ。それで惰性の人生が変えられる。
ニュートンの運動力学第一法則は、止まっているものは永遠に止まっている、である。それを変えるには、少しの力を与えればよい。
大きな机の上に広げた資料を展望
永眠の練習
部屋の寝室には大きなダブルベッドと普通サイズ(それでもデカい)のベッドの2つが設置されていた。貧乏性の私は初日は、大きなダブルベッドは遠慮して、普通サイズのベッドで寝た。しかし翌日の夜、気を取り直して、使えるものを使わないと勿体ないと考え直し、2日目は大きなダブルベッドを使って、永眠の練習をした。お陰で熟睡が出来きて、日の出前に目が覚め、2日の日の出を拝むことが出来た。
人は毎日が永眠の練習である。一生の内、一度だけ目が覚めない時がある。それが永眠(死)である。私は次の言葉が大好きだ。
よく働いた一日は、安らかな眠りが与えられる。よく働いた一生は安らかな永眠を賜る。
ゲーテ
2023-01-03 久志能幾研究所通信 2581 小田泰仙
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