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2023年1月

2023年1月 3日 (火)

一念の計は、山籠もり禊にあり

 

 今年の大晦日と元旦は、大垣フォーラムホテルに籠って「一念の計(一年の計)」を考えた。山籠もりとして、ホテルの最高の部屋に籠り、外界の喧騒を断ち切り、冷水で身を清め、今までの人生の振り返り、今後の人生を考える時間を持てたのは、有意義であった。それは私の禊ぎでもあった。それが一事一心一念道である。

 大垣フォーラムホテルさんからの厚遇に感謝である。これも亡き馬場恵峰先生の陰ながらの御差配と感じた。

 

展望

 その修行は、ホテルの天井界(8階)にある一番大きな部屋を利用した。その部屋は通常の部屋の3倍の広さである。寝室も居間とは別にあり、トイレも洗面台もクローゼットも2つある部屋である。居間には台所の流しも備わっている。宮様も利用するお部屋である。天上界からの展望も素晴らしく、初日の出(ただし1月2日。元旦は寝過ごして拝めなかった)も拝めた。冷水シャワーで身も清めた。

 また展望の視野内に、元三洋電機(羽島市)のアーチ型の巨大なソーラーパネルも眺められて、その最後の姿を拝んだ。このパネルは今年中には撤去されるとのこと。時代の流れを感じた。その現実に万物の生老病死を突き付けられた。生物だけではなく、建物にも生老病死があり、永遠の命はないことを思い知らされた。

 やりたいことが出来るのは、生きているうち、今のうちなのだ。自分の今までの人生を展望して、残りの人生を精一杯に生きようと決意した。今、生きていることが奇跡なのだ。

 人の生は偶然だが、死は必然である。

 人生計画は死から逆算して、立案すべきである。

 いつまでもあると思うな 親と自分の命。

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    天井界の部屋

 

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       元三洋電機のアーチ型ソーラーパネル  ホテル8階の部屋より   2023年1月2日

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振り返り

生老病死、ご縁は夢幻

 この部屋は、2018年4月、私が馬場恵峰先生ご夫妻を彦根と関ヶ原合戦場跡に案内した後、大垣で恵峰先生をお泊めした部屋である。翌日、私は恵峰先生ご夫妻を名鉄犬山ホテルへレクサスLSでお送りした。三根子先生に大変喜んでもらえて幸せであった。

 そのレクサスLSも、恵峰先生が大垣に来られることが決まり、それならばと構えていたら、ご縁で直前に入手できた。しかし、私はレクサスLSの維持費の高さに音を上げて2年後には手放した。別荘と二号さんは、持ってはならないのだ。乗らない時の維持費が大変なのだ。しかしそれも良きご縁で、よき経験であった。早からず、遅からず、ご縁はやってくる。恵峰先生ご夫妻をレクサスLSで送迎できたことは稀有の必然のようなご縁であった。今は、レクサスLSを買う気になれない。それは佛のご差配であったようだ。レクサスLS所有は108の夢の一つであったが、実際それを所有して見ると、「ああこんなもんか」と現実に目が覚めるのだ。それも良き経験である。今ではそれは夢幻であった。それも人生を振り返るための貴重な経験である。人生ではやってはいけないことをやってみて、やってはならないと悟るのだ。人とは愚かな存在だ。

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「佛様のお裁き」 

 その翌日の10月21日、馬場恵峰先生は塾ОB会の講師として、名鉄犬山ホテルに泊られた。しかしそのホテルは1年後の2019年8月に急に閉鎖された。耐震強度問題が露見して、安全上の観点で、取り壊されてこの世から消滅した。それも因果である。先生が泊まられた時、事故が起きなくてよかったと思う。宿泊客の命を最優先にした名鉄さんの決断は素晴らしいと思う。建物さえ、生老病死の因縁があり、あっという間に消滅する。まるで人の生死のようだ。

 それが今回、ご縁があり、私自身が大垣フォーラムホテルのその部屋に泊まることになった。自分でその部屋に泊まってみて、恵峰先生ご夫妻を極上のいい部屋にお泊めして良かったと改めて思った。

 翌日に恵峰先生が泊まられた名鉄犬山ホテルの部屋は普通室であった。馬場恵峰先生はその会の講演者なのだから、一般よりも格上の部屋にすべきだと思う。それが講師の先生への敬意である。

 その酷い扱いに比べて、私はよいことをしたと、改めて4年前のことを思い出し、嬉しくなった。それは名鉄犬山ホテルを予約した幹事達の人格の低さから起きた事件である。人格に低い人間は、何をやってもダメなのだ。当時、私はその幹事たちと事前準備をしている途中で、彼らの人格の低さに反吐が出て、私は幹事役を辞退して縁を切った。

 「佛様のお裁き」が、幹事達のドタキャンの露見とその後の不祥事である。そしてその思い出のホテルの取り壊しである。私は、その時の自分の絶縁の決断を褒めてあげたいと思う。悪縁と付き合うと、その分の大事な人生時間が潰される。

 そのOB会の直前、その幹事たちのドタキャン失態が露見した。私はその幹事役を降りていたので関係が無かった。しかし馬場恵峰先生の名誉のため、私はその後始末に走り回ることになった。恵峰先生と相談して、迷惑をかけた旅館に塾ОBの代表としてお詫びをして、先生の書を進呈した。その書は「縁あって花開き、恩あって実を結ぶ」の掛け軸であった。

 違和感を覚える人との付き合いは、心配が現実の危ない事件に発展する。この件で、よき知恵を授かった。その感性を大事にすることが危機管理である。

P1100226s 名鉄犬山ホテル   2018‎年‎3‎月‎27‎日撮影(事前調査で訪問)

 その1年後、取り壊された。その跡地には2022年3月1日、新しいホテルが開業した。

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  名鉄犬山ホテル前の駐車場で  この車で恵峰先生を送迎した。

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歳月人を待たず

 その翌年の2019年2月、私はガンの手術を受け、病床に伏した。手遅れ寸前で5年後の生存率は、51%の状態であった。なんとか生き延びることが出来た。佛さまが助けて下さったようだ。

 その10か月後の2019年12月13日、恵峰先生は自身の死を悟られたようで、中国へお世話になった方々に最後の挨拶をするため中国旅行に出発された。その前日、「夕焼け小焼け」の童謡の意味を先生の教室で解説された。それが恵峰先生の生徒たちへの最後のメッセージであったようだ。三根子先生は、その3か月後の2020年3月3日に突然、亡くなられた。それから新型コロナウイルスが猛威を振るい、私が九州に行けなくなり、8か月が経ったら、恵峰先生が倒れられた。その後、一月ほど寝込まれ2021年1月1日、亡くなられた。

 恵峰先生が死の床で繰り返し口にされたのは、「縁あって花開き、恩あって実を結ぶ」、「ありがとう、ありがとう」の感謝の言葉であった。

 もう恵峰先生をこの大垣フォーラムホテルの部屋にお泊めする機会はこない。私は1週間前(2022年12月24日)に馬場恵峰先生の三回忌に参列したばかりで、一連の流れに、歳月人を待たず、を痛感した。

 故馬場恵峰先生の高台に立つ図書館2階の書斎からは、長崎空港、九州高速道路、長崎新幹線(当時は建設途中)が眺められて、恵峰先生は、よく思索にふけっておられた。このホテル8階からの眺めも、同じように、名神高速道路の車、東海道新幹線の走る姿が眺められて、感慨にふけさせられた。

 

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 日中文化資料館の図書館2階からの眺め  2011年4月2日

  大村湾の長崎空港と目の前に九州高速道路と長崎新幹線の予定地が見える。

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今後の計画

ホテルでのお仕事

 私は、その部屋の6人用会議机に資料を広げ、もう一つの机にはノートPCを置き、人生計画作成のお仕事に没頭した。作業エリアが広く、資料を広げたままに出来るため、私は今までになく快適に思索を練ることが出来た。年に一度、静かな環境で自分の人生を振り返ることは良いことだ。

 部屋には計2台の大型テレビが設置されていたが(居間に1台、寝室に1台)、一度も電源は入れなかった。未来の計画をして夢を見たいのに、下世話で騒々しいテレビなど見る気にならない。

 禁酒しているので酒は一滴も飲まず、コーヒーと白湯だけで過ごした。この宿泊は、今までの穢れを落とす山籠もりの禊なのだから。

 

持ち込んだ資料は、

 「人生計画・自戒」のクリアファイル、

 「死ぬまでにやりたい108の夢」のクリアファイル、

 「人生の課題」のクリアファイル、

 青山俊董著『わが人生をどう料理するか』、

  叔母が青山俊董堂長より頂いた本で、叔母が私に贈ってくれた。

  青山俊董堂長は、私の叔母(京都の尼寺の住職)の師である。

 田口佳史著『超訳 言志四録』、

 松本明慶友の会会誌「苦楽吉祥」最新号、

 大村智博士の新聞記事、

 書抜きした京大カードから抜粋した約50枚で、ある。

 

 「人生計画・自戒」のクリアファイルには、「18歳から105歳までの人生実績・計画表」、自戒の言葉、「家系図」、研修記録、自分の性格分析等がファイルされている。自戒の言葉や年度計画も40年前からの資料が残してある。その変遷が、それで自分の歴史であり、自分の成長も辿れる。年に一度、それらを見直して今後の10年間の予定を考えている。

 「108の夢」のクリアファイル、には「死ぬまでにやりたい108の夢」の資料がファイルされている。今までの実績、これからやりたいことのリストを更新した。まだやりたいことが108個まで出しきれていないのが残念だ。紙にやりたいことを書いておくと、自然と実現するものだ。夢の実現には、まず見える形にするのが、秘訣である。

 「課題」のクリアファイルには、教育問題、認知症問題、少子化問題、日本再生、大垣再生、資金調達等の自分で考えたいテーマの資料(雑誌の切り抜き等)をファイルしている。それを見直して、新たな知見を書き込んだ。

 溜め込んだ情報と知識を、賢さで智慧に消化すると新たな知見が浮かんでくる。そのために場を変えてみるのも効果があった。それも極端に変えるのも良いことだ。それで惰性の人生が変えられる。

 ニュートンの運動力学第一法則は、止まっているものは永遠に止まっている、である。それを変えるには、少しの力を与えればよい。

 

 

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 大きな机の上に広げた資料を展望

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永眠の練習

 部屋の寝室には大きなダブルベッドと普通サイズ(それでもデカい)のベッドの2つが設置されていた。貧乏性の私は初日は、大きなダブルベッドは遠慮して、普通サイズのベッドで寝た。しかし翌日の夜、気を取り直して、使えるものを使わないと勿体ないと考え直し、2日目は大きなダブルベッドを使って、永眠の練習をした。お陰で熟睡が出来きて、日の出前に目が覚め、2日の日の出を拝むことが出来た。

 人は毎日が永眠の練習である。一生の内、一度だけ目が覚めない時がある。それが永眠(死)である。私は次の言葉が大好きだ。

 よく働いた一日は、安らかな眠りが与えられる。よく働いた一生は安らかな永眠を賜る。

             ゲーテ

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2023-01-03  久志能幾研究所通信 2581  小田泰仙

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2023年1月 1日 (日)

生涯目標 魂と人格の成長

 明けましておめでとうございます。

 私の年度目標・生涯目標は、自分の魂の成長と人格の向上です。それが人としての最大の課題である。課題とは、目標と現実の乖離をいう。その乖離を少なくする取り組みが修行である。

 いくら知識を持っても、有名大学を出ていても、カネが沢山あっても、地位が高くても、大きな屋敷に住んでいても、人格の低い人間は、何をやってもダメである。人格が低くては、出せる成果に限界がある。その人格は魂の支配下にある。

 

子供は動物

 どんな高貴な人でも、子供は人間ではなく、動物である。人は、躾、教育、経験を経て人間になる。人は艱難辛苦を経て魂が成長した人間になる。人間とは、人と人の間の社会でまともな生活が出来る人である。親が子供に教えるべきは、魂の成長と人格の向上である。

 今、日本で頻発している悲惨な事件は、その躾が軽視されているために起こる。「息子には、お小遣いを月50万円あげているから、息子が不良になるわけがない」と警察に怒鳴りこんだ有名女優が存在する。その息子は覚せい剤で何度も捕まっている。彼女は良妻賢母役の女優業が忙しく、実の息子には何の躾もしなかった。

 日本の現代社会で「誰でもよかった」と無差別殺人が頻発している。全て親の教育の失敗である。親が命の大切さ、子孫の永続を教えなかったのが原因だ。

 「日本は嫌いだ」と言いながら日本国民の税金で外国で豪遊している元皇族がいる。親の後姿を見て育った結果である。子供は親の言うことは聞かない。親がやっているようにする。反面教師の実例である。

 動物から人間になっても、人格が低いと、全てが下品な振る舞いの人生となる。その親の子供も成長して下品になる。

 

積める人生

 「人生はつまらい」と嘆く人は人格が低い。つまらないことをつめるのには、高い人格が必要だ。つめないから、つまらない人格になる。

 

見えない世界

 高い人格に成長すると、見えないものも目えてくる。山の5合目から見える景色と、山頂から見える景色がまるで違うのと同じである。

 仏様の世界でも52段階の位がある。最高階の第52位にはお釈迦さが居られる。その次に即位されるという現在51位の弥勒菩薩様は、56億7千万年後に現れるとされる。つまり弥勒菩薩様は、あと56億7千万年間の修行を積まないと、お釈迦様の段位の悟りに到達できないのだ。位を一段でも上げる修行は厳しく長い年月が必要である。

 

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人間としての修行

 修行を積み、長所を伸ばし、人格が高くなると、持てる欠点も人間味となって、味のある人間になる。人間の欠点はなくしてはならない。欠点のない完璧な人間になれば、人ではなくなってしまう。それは神である。それでは人でないので、「人でなし」である。欠点を持ったまま、熟してこそ、欠点が人間味となり、人格が上がる。それが角熟である。人として技を磨き、精神を高揚させることが修行である。

 人には108の煩悩がある。その煩悩を消すのが修行である。煩悩を一つ消せば、位が一つ上がる。私は年に一つずつ煩悩を消していきたい。そのため、108歳まで修行が必要だと私は判断した。

 煮ても焼いても食えぬ喰えん人間が下品なのだ。味のある人間は喰える人だ。人間社会で美味しく食べてもらってこそ、社会への貢献である。カマキリは、交尾が終わると、雄は雌に頭から喰われてしまう。生体系の摂理で、麻酔が分泌されて、食われても雄には苦しみはない。その雄の体が子供の栄養となるからだ。それが種の保存の摂理である。

 

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 自著の「修身」のテキストより

 

魂の成長

  人には魂がある。その魂の本質は「鬼」である。その「鬼」が「云う」と書いて、「魂」である。本来、人は鬼なのだ。その鬼を「人に非ず」と書いて、「佛」である。人と超越した存在の「佛」になるために修行がある。

 己の中は佛も住めば、鬼も住む。此の世は全てプラスマイナスの世界である。己の中には、「向上しよう」とする己と、「そんな辛気臭いことは止めとけ」と足を引っ張る鬼のようなもう一人の己がいる。その鬼が自分のいやらしい面をよく知っていて誘惑してくる。それを克服するのが修行である。鬼に見つめられれば、襟を正さなければならぬ。私は国家試験の受験勉強中に、机の前に松本明慶大仏師作の「魂(おに)」を置いて、睨んでもらって勉強をした。

 しかし受験には失敗した。そのお陰で、致命的な病気が発見できて、治療を始めることができた。そのため、突然死のなる手前で、間に合い、手遅れにならなかった。その時、治療を始めなければ、今頃、心筋梗塞、脳梗塞になってこの世を去っていただろう。認知症にもなっていただろう。ただ癌にはなってしまったが、死は免れた。受験失敗も仏様からの啓示である。それで良き経験を積むことが出来た

 

 

Dsc04554sjpg 松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」

Dsc09818s 松本明慶大仏師作  

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 馬場恵峰書

 

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 聖人の要素だけでできた人間はいない。その鬼を抑え込んでこそ、人間である。それを抑え込む過程が修行である。内なる鬼を抑えられなければ、本能のままに生きる犬畜生と同じである。

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2023-01-01  久志能幾研究所通信 2580  小田泰仙

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