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2022年5月22日 (日)

生生流転 色男 病になれば 力なし

 

 どんなに若くて体力があっても、金があっても、何時かは老い、死んでいく。どんな色男でも、病気では力が出ない。色男とは、色んな事に好奇心を持って人生を取り組む人のこと。般若心経の「色即是空」の「色」とはこの世の雑念・仕事・生命である。その「色」が無くなったら、人生は終わりである。どんなに好奇心があり、金があっても、体力・気力が無くなれば、この世から消えていくのが定めである。だから金より体力である。

 

 体力が無くなる最大の原因の一つが、病気になること。老いても体力が無くなるが、ある程度は気力で補える。だからこそ、死んでもいいが、病気になってはダメなのだ。死は自分では管理できない神仏の世界だが、健康は自分の管轄範囲である。

 

 5月18日に愛知県がんセンターに行ってきたが、その出口で「生生流転」の像を見て、生きていく意味を改めて思った。がんにならなくても、生命も何時かは死を迎える。死があるから生がある。その死は生生流転の一過程である。それは宇宙の流れの一つの工程である。

 

 嫁姑問題でお互いに憎み合っても、会社生活でいがみ合っても、時間が経てば大した話ではなくってくる。年功序列で姑も先に死んでいく。上司も先に死んでいく。嫌な奴ほどバチがあたり先に死ぬ。

 絶対的権力を握った毛沢東やスターリンは数千万人を殺したと言われるが、それでも、彼らも老い、死んでいった。少し長生きしたが、それも宇宙時間から言えば誤差範囲である。所詮、仏の掌の上で躍らせれている人間の所行である。そう思うと何事も大したことではない。だからこそ人間として、自分が正しいと信じることを続ければよい。自分という神を、納得させればよいだけだ。

 

 人は土から生まれて、土に戻る。そして星になる。その土でできた星もいつかは老化して惑星爆発で消える。その爆発したかけらが集まって新星が出来る。そこに新たな命が生まれる。人間の一生など宇宙の営みに比べれば一瞬である。諸行無常である。だからこそ、今の命を大事に生きたいと改めて覚悟した。 

 

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 生生流転 山本眞輔作 愛知県がんセンターにて 

 

2022-05-22  久志能幾研究所通信 2388号  小田泰仙

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