「宇宙根源能理経」に学ぶ(5) 易、占い、運命
占い
決断に迷った時、占や、易、教祖のご神託とかに決断を託すことがある。一国の指導者さえ自分で決断をできないこともある。それを無責任にも神に託すのだ。
一国の王の元には必ず占い師や神事を行う神官がいた。その神官に軍事を占わせて、兵卒を率いて戦いに挑んだのは常識である。一番、それを信じていないのは、一国の将軍である。そんなことを信じるほど、ふやけた頭では、数多く歴戦を戦って将軍になどなれない。占いは部下を信じさせるために使う方便なのだ。
古代中国の有名な名君は、高給で占い師を雇って身辺に置いておいたが、生涯一度もその占い師を使ったことがなかったという。国は名君に平穏に統治された。それが正しい占いの使いかたである。
占いは「売れない新興宗教団体」の販売促進ツールなのだ。それに騙されてはならない。お釈迦様は占いで教えを広めようとしたことはない。またあの世があるとも、ないとも言われず、ただ「精進せよ」とだけ言われて寂滅された。
易経
『易経』は、古代中国の書物。著者は伏羲とされている。商の時代から蓄積された卜辞を集大成したものとして易経は成立した。 『卜』が動物である亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から占うものであるのに対して、『筮』(めどき/めどぎ)は植物である『蓍』の茎の本数を用いた占いである。 現代では、哲学書としての易経と占術のテキストとしての易経が、一部重なりながらも別のものとなっている。中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。
なぜ『易』という名なのか、古来から様々な説が唱えられてきた。ただし、「易」という語がもっぱら「変化」を意味し、また占いというもの自体が過去・現在・未来へと変化流転していくものを捉えようとするものであることから、何らかの点で “変化” と関連すると考える人が多い。
有名なものに「易」という字が蜥蜴に由来するという “蜥蜴説” があり、蜥蜴が肌の色を変化させることに由来するという。
また、「易」の字が「日」と「月」から構成されるとする “日月説” があり、太陽と太陰(月)で陰陽を代表させているとする説もあり、太陽や月、星の運行から運命を読みとる占星術に由来すると考える人もいる。
この項、wikipediaより(2022/4/26)
人間の進化
人は過ちをしながら、学んで成長する。人は60にして59の過ちを知り、善に向かい進む。人は還暦にならなければ分からないことがある。古希にならねば分からぬことがある。それまでの過ちを知れば、それを正して進めばよい。その間違いを犯さないと分からない。決して無駄な過ちではない。
それが過ちであったと気が付かず、そのまま無為に過ごし、死を迎えるよりは、はるかによい。死の直前でもその過ちが正せたのだ。
科学技術は発達したが、人間の精神レベルは2000年前とあまり変わらない。むしろ科学技術に頼り過ぎて劣った面さえある。昔は筮竹で占ったが、現代は科学技術の先端技術で、AIで占う。AIと言ってもその中身は、統計と回帰分析の応用である。しかしそれでも当たらない。その確率は昔と変わらない。
所詮、人間様の行動など当てにならない。一人に狂人が動けば、戦争などあっという間に起きる。ウクライナ侵攻をAIが予想したとは聞いていない。
選択・決断
人生でぶつかる案件は、A案とB案が49対51の稟議案件なのだ。その選択と決断をするのが、社長、国王、指導者である。どちらがいいかなど、神様でも分からない。だから腹をくくって取り組むしかない。
気力が運命を上回れば、鬼神さえも退く。物事に断固たる決意で取り組めば、49対51の差はどうにでもなる。人間界で起きる事象の成否は、全て心の強さが決める。世の中を良くしようとするエネルギーがあれば、ものごとは進化する。物事は良く成るように進化発展している。それをそっと後ろから押すだけである。
しかし、その逆も真なりで、その気が無ければ、選択に誤り、運命に逆行して衰退するしかない。
運命とは
心に弱きが出た時、占いや人に頼ろうとする。その時は、そんなものに頼らず、籠ることだ。心を落ち着けてから決断すればよい。心が正しくなれば、正しい決断ができる。心がこの世で一番大きな宇宙である。それが宇宙根源の理である。
運命とは大河の流れのようなものだ。大筋の流れは見えるが、それが占いの全てである。それは占わなくても、常識で見える。運命の定めで、全てで決まっているなら、努力も人為的工作もいらない。その流れを変えるのが、人の意思である。その意思は心が作る。
「運」とは、長い坂道を車に荷物を乗せて押して上る様を表した象形文字である。その車には自分の命を乗せているのだ。
何事にも一生挑戦し続ければ、心も強くなる。それが運命を拓く力となる。
2022-04-26 久志能幾研究所通信 2371号 小田泰仙
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