« 「日本列島がん病棟」勤勉に癌生産で世界一に(3) | メイン | 「日本列島がん病棟」リストラ、解雇(5) »

2022年4月 2日 (土)

「日本列島がん病棟」 治療と真因の模索(4)

 

 2018年12月25日に河村義子先生ががんで亡くなり、私はそれで胸騒ぎを覚え、2019年1月にがんの検診を受けた。それで私にガンが見つかり、愛知県がんセンターで2月に手術を受けた。そこは河村義子先生が入院されていた病院である。先生の家族の紹介で愛知県がんセンターに決めた。「大垣市民病院は野戦病院と同じ」と言われたのが決め手となった。20年前の父のがん手術での大垣市民病院の嫌な思い出も決め手となった。

 

余命宣告

 がんの手術後、担当医師からステージが進んでいて5年後の生存率51.6%と宣告された。同じ病気の人が5年後までに、半分が死ぬのだ。不思議なことに、がんを宣告され、余命宣告されても、冷静に受け止めることが出来た。よく言われるように、頭が真っ白になることはなかった。癌の進行状況はかなり進んでいるが、まだ転移もないため、術後の正しい処置をすれば出直せると思ったためだ。

 

理系の対応

 それからやるべきことは、理系の人間として、ガンの再発防止とその発生原因の追究と恒久対策を考えるだけである。

 まず緊急対応として、手術をして患部を除去した。その後、再発防止を施し、真因を探し、恒久対策をする。今まで仕事で経験してきたトラブル処理法を準拠したまでである。

 「ああ、体という機械が故障したのだ。しかし心までは壊れていない。手遅れではない。その発生した原因を探り、根本原因を除去すれば直る」である。トヨタ生産方式である。

 それを医師の余命宣告を信じると、それが洗脳教育となり、本当にその期間で死んでしまう。私はそんなことで死んでたまるか、と智慧を使ってしのぐことにした。闘うのではない。起きた自然現象を受け入れ、その対応を考えたまでである。今まで仕事で何度も機械の故障や体の不調のトラブルでその対処をしてきたので、正しく処置をすればよいと考えただけだ。

 結果として再発防止の治療を受けている間に、良き先生と出会い、真因を見付け、恒久的な再発防止を施せた。

 

情報収集

 本を読み漁り、情報を探し、よき医師を探して、がん再発防止を研究した。分かったことは、癌専門医でもまだがんは分からないという現実である。癌に関しては百家百論が溢れていた。癌専門医でもがんで倒れている現実である。

 

抗がん剤治療

 まずやるべきことは、間違った治療の阻止である。今まで得た知識で、抗がん剤はダメだと認識していたので、愛知がんセンターの薬剤医師と喧嘩別れをして、抗がん剤治療を拒否した。「命の保証はしない」と脅かされたが、それでも抗がん剤治療は拒否をした。その治療は対処療法の最たるものだ。

 

癌の原因探し

 担当医師は、「手術後の生活は、今までと同じ生活スタイルで良い」という。20年前、父が癌になり、その後の対処方法を医師に聞いたが、それと同じ回答であった。それではおかしいと思い、再発防止をネットや書籍で探しまくった。癌になったのには、因果応報で、がんになった原因があるはずだ。それを見付けないと再発する。なんでも元を断たなきゃダメなのよ。

 判明した結論は、狂った生活習慣、狂った食生活習慣が原因であった。がんは生活習慣病であった。原因さえわかれば、解決策は簡単である。

 

2022-04-01  久志能幾研究所通信 2349号  小田泰仙

「久志能」 で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント

コメントを投稿