墨俣宿「つり雛小町めぐり」、ウクライナ厄を流す
2022年3月3~6日、大垣市墨俣町の旧墨俣宿一帯で、「つり雛小町めぐり」が開催され、最終日に見学してきた。つり雛を見たのは、私は初めてである。古くからの行事は、理屈抜きに心温まる風情がある。
ここでウクライナ侵攻の大厄を連想した。
ひな祭りの3月3日は、五節句の中の「上巳の節句」にあたり、古代中国ではこの日に川で体を清めて厄を祓う習慣があった。これは、漢の時代の故事に由来する。
その昔、「徐肇」という人物のもとに三つ子の女の子が生まれたが、3日後に3人とも死んでしまった。それを知った周囲の人々が水浴をして穢れを流し、禊を行ったことで厄除けの日とされるようになった。
上巳の節句が女の子の成長を願う節句とされるようになったのは、古代中国の故事に起因している。
ひな人形の由来
ひな祭りの象徴のひな人形の由来は、「流し雛」の風習だとされている。もともと日本でも人形(ひとがた)に不浄を託し、川に流して災厄を祓うという風習があった。この風習が「流し雛」のルーツのようで、上巳の節句に合わさって、「女の子の代わりに厄を引き受ける」ひな人形が誕生した。
厄を流す
その厄を引き受ける「ひとがた」の人形を、美の対象や心の拠り所にまでしてしまう日本人の感性に、一神教にはない心の豊かさを感じる。日本人は、万物全てのモノに神が宿るとするのだ。
一つだけを頼りのではなく、自然界の全てを受け入れて、それを神として受け入れる考えは、大きな宇宙の小さな存在である人間の行動として理に合ったものだ。
西洋の思想では、自然や世界を征服する神の如く横暴に振舞うから、領土問題、新型コロナ問題、再生エネルギー問題等でしっぺ返しを受けるのだ。今回のウクライナ侵攻では、その矛盾を明らかにしてくれた。プーチンは神の如く振舞っている。彼の行動は悪魔の振る舞いである。
神から授かった「禁断のリンゴの実(核・原発)」を攻撃したプーチンは、超えてはならぬ一線を超えた。だから彼は独裁の楽園から追放されねばならぬ。神の逆鱗に触れたため楽園を追放された(SWIFTから排除)。
ロシア共産党も中国共産党も人類には大厄なのだ。それを不浄として流せと、宇宙根源の理は教えている。悪を流す(滅ぼす)のは、理性ある我々に義務である。それが人類の幸せを願うことだ。
つり雛
「つり雛」はその「流し雛」の変形のようだ。正絹の端切れで作られた「つり雛」が、この町内26か所の会場に飾られた。脇本本陣跡の古民家「ギャラリー&ショップ美濃路墨俣宿脇本陣」には多くの「つり雛」が飾られていた。
光受寺の展示館でも、つり雛、置き雛が展示されていて、当時の華やかさを醸し出していた。山路先生が提供した鎌倉時代のひな人形も展示されており、華やかであった。
光受寺の庭の植木も大きな盆栽の如く生えており、これを目当てに遠方から見学に見える人も多いとかで興味深い。自然のままでは、こんな風にならないので、相応の細工を施して、盆栽のような幹に育てたとか。
お寺の本堂の壁には、削り出し絵板が掲げられており、細工に迫力があり、見ごたえがあった。
「つり雛」は、「雛のつるし飾り」とも呼ばれ、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取が気下のようである。それが全国に広まったようだ。
雛のつるし飾りとは、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取における吊るし飾り。江戸時代後期から伝わり、長女の初節句に無病息災や良縁を祈願して雛壇の両脇に細工を吊るす。過去においては庶民の雛壇代りでもあった。
歴史[編集]
伊豆稲取では、もともとはツルシと呼ばれ特に名称はなiかった。つるし飾りは、子供が成長し7歳、成人、嫁入りといった節目を迎えると、新年のどんど焼きに焚きあげてしまうため、古いものはあまり残っていない。1993年(平成5年)頃より稲取の婦人会の手芸講座にてツルシ製作を通じて見直され、「雛のつるし飾り」の名称をつけられた。つるしの漢字表記「吊るし」は、縁起物には不適当なため推奨されない。
この項、wikipedia より
しだれ梅
2022-03-10 久志能幾研究所通信 2328号 小田泰仙
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