比較三原則、悲核三原則、格物致知
私が守りたい比較三原則の戒律
1 人と比べない
これは仏教徒の守るべき戒律の第一である。
自分の目指す姿との乖離を埋めるのが修行である。
人と比べて精進すれば、その人のレベルまでしか成長しない。
絶対的な目標値を目指すべきだ。人と比較してはならない。
人と比較するから不幸になる。
天上天下唯我独尊。己はこの世で一人しかしない尊い存在である。卑下する必要はない。この世界で尊いのは、この世に存在することが全てある。今ここに生まれてきたが、再び生きることはない。
2 自分と比較しない
ただひたすら佛を目指して生きる
今の自分を過去と比較しない。過去を超越して今を生きる。
過去の自分は成長するための過渡的な姿である。それはサナギが蝶に変身する過程と同じである。
佛は「人」に「非ず」と書いて佛である。
自分が目指す姿を目指して精進してこそ、人に超越した存在になれる。
3 他の核なるモノ(他の教え・邪念)と比較しない
核なるモノを持ち、自然体で超然と生きる。
他人を信じてその核を放棄したから、ウクライナはロシアに侵攻された。
アメリカやNATOが守ると言う約束は反故にされた。
他を信じる方がお人好しなのだ。
格物致知とは、実際に経験して得られる智慧である。
今回のウクライナ侵攻は、多くの知恵を与えたくれた。
それから学ばないと、自分が滅び、国が滅ぶ。
近くのやくざな国家が核を持っているなら、こちらも対抗しないと見下されて、国民が殺される。プロレスラーに喧嘩を売るヤクザはいない。
佛様でも、ご本尊を守る四天王は、甲冑を着て、武器を持っている。丸腰ではないのだ。それが佛の教えである。隙を見せず正しく守れば、敵は攻めてこない。
お釈迦様も釈迦国が敵国に攻められたとき、両手を広げて敵を防がれて、一度目は敵が去ったが、二度目は釈迦国を蹂躙して女子供を殺戮した。お釈迦様は、その後出家されて、修行の旅に出られた。釈迦国が滅ぼされてしまったのは、冷酷な歴史の事実である。
1972年、訪中したニクソン大統領は、毛沢東主席と会談して、毛沢東から「核戦争で2,3億人が死んでも、人口の調整となり丁度よい」と言われ、ニクソンを驚愕させた。共産主義者の狂人は、人の命を何とも思っていない。今までに共産主義者は1億人の人民を殺戮した。ウイグルでは人口の20%の人が殺された。日本に換算すると2千万人が殺されたと同じである。ウクライ侵攻をしたプーチンも狂人状態である。
だから自分の城は自分で守るしかない。アメリカの核の傘も当てにならない。中国は日本に1,000発もの核ミサイルを向けている。そんな国に対して無防備で良いわけがない。日本人のお花畑状態が続けば、明日は日本がウクライナと同じ運命となってしまう。武器が無ければ借りればよい。共同保有は一つの選択肢である。相手が狂人なら、相手に常識的対応をしていては皆殺しにされる。
1946年、父の世代がシベリアに拉致され、無抵抗のまま10万人が殺された。今度は孫の代が危ないのだ。お花畑状態の野党は、敵の回し者だ。今必要なのは、歴史の知識という武器なのだ。歴史を学ばない国は亡びる。
松本明慶大仏師作 持国天 高野山中門
多聞天 高野山中門 松本工房で修復
2022-03-11 久志能幾研究所通信 2329号 小田泰仙
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