人生訓「先入れ先出し」で若くして高台に上らず
「先入れ先出し」(トヨタ語録)は、生産の原則でもあるし、人生の大原則でもある。それを逆らうと、人生の逆境に見舞われる。それは先に入庫した材料から順番に使うと言うだけの法則である。そうすれば賞味期限切れなどは起こらない。品質管理も容易である。それが人生の品質管理ともなる。良き人生品質を保って生きるべし。
「年と共に人間の佳境に入るのが本当である。」安岡正篤師
人は人生の山谷を歳に応じて上り下りして一人前になってくる。若くして高台に上るから、人生の登山道を誤る。
人生の三大不幸の一つは、「若くして高台に上る」である。年功序列の意味は重い。
当時の私の若い部下は、エリート校を出たためエライさんにちやほやされていた。私が係長であった時、10歳も若い彼は依怙贔屓でパリ見本市の海外視察団に選別されて、得意げになっていた。従来の慣習では、その年に私がパリでの見本市視察団に選ばれることになっていた。しかし私は除外され、10歳も若い部下がその視察団に選ばれた。私は有名大学出ではなかったので、私より上司のひいきの大学を出た部下が可愛いようで、人事の辻褄を合わせるため、その選別後、私は他部に異動になった。私の心の痛みを上司は関知しない。エリートと呼ばれる輩は利己主義者で、そんな心の機微はない。
ところが仏さまの絶妙な計らいで、私が会社の創立〇〇年記念論文募集で最優秀を獲得し、その副賞でその海外視察団と一緒に出張できることになった。それは上司には想定外であったようだ。
その後の、依怙贔屓された若造の20年後の末路は窓際族であった。依怙贔屓してくれる役員がいなくなると、彼は冷遇された。彼は、頭は良かったが、人間性に欠ける冷たい人だった。彼は精神を病み、エリートコースから外された。
そんな「若くして高台に上る」人事を優先した会社は、決断力のない経営者が選ばれていた。そんな経営者では、大事な経営決断ができず、時代の変化に対応できないため、衰退していった。そして市場からその名前が消えた。
私も当時は悲哀を味わい目いっぱい落ち込んだ。今は、人生の辛酸を数多く舐めて、「若くして高台に上る」の意味を噛みしめている。安岡正篤師の言葉に感服している。
「来たもの順で処理」 出口治明氏(立命館アジア太平洋大学学長)
仕事の優先順位を付けるより、来たものをその場で処理するのが一番の方策である。要は、「先着順」である。それを変に構えるから、宇宙根源の理に反して、軋轢が起こり、事故が発生する。
天の運行は一瞬も休まず、止まることがない。月日の運行も春夏秋冬の巡りも、人の生老病死も、ただひたすら粛々と運行する。だからこそ休みことなく精進せねばならぬ。目の前に死が迫っている。日暮れて途遠し。やり残したことを完成させよう。
大病を経験し、老いて死が見えてきて、初めてわかる心境である。人生は走馬灯のような映像の連続である。順番にその場面、場面が変わり、その舞台で主人公として、また脇役として最大限の力で演じ、次の場面に移っていく。それを拒否し、勝手に退場することは許されない。送り込まれた場面で、最大限の演技をして、次の舞台に移る。それが人生の春夏秋冬である。最後の舞台で幕が下りるまで、生涯現役として演技をしたい。
馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊 より
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2022-02-25 久志能幾研究所通信 2315号 小田泰仙
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