自分を見失なわない、幸せの価値基準と出会うご縁
人の行動は愚かさに満ちている。それは、歳を取り、人生の終わりがおぼろげに見えてくると、やっと分かる。バカなことはバカなことをして、やってはいけないと理解できる。格物致知とは、そのモノに接して、やってみて、知に至るのだ。いくら頭で考えても、やってみないと分からない。それほどに人は愚かである。だから多くの愚かなことして、その誤りに早く気がつくとよい。私の人生は、愚かさで一杯である。それで少し賢くなった。
お釈迦様だって、多くの誤りをして悟りの境地の達せられた。我々凡人も、多くの誤まりをして悟ればよいのだ。
人生の選択
人生の選択は、その選択で「幸せ」になれるかどうかで選択すべきである。往々に、目の前の選択がバラ色に見えて、その選択を惑わされて、間違った道に進みがちである。それは自分が欲に惑わされて、自分を見失い、真実が見えなくなって間違った道を選択するからだ。自分を第三者の目で、冷静に自分を見るべきだ。
その選択(モノ、人、道)が、自分の人生で、自分の一部となり、人生を歩くうえで、助けてくれるかを考えて選択すべきなのだ。
薫習
その人と付き合って、自分も相手も社会も幸せになるだろか。それを考えてご縁を結ぶべきだ。
朱に交われば赤くなる。その朱が、自分の人生を彩ってくれれば良いが、悪い赤なら、毒である。後ろ向きの考えの人と付き合えば、自分も後ろむきになる。それで人生が好転するとは思えない。付き合っている時は、温室のような温かさで気楽ではあるが、刺激がなく、少しずつ人生パワーが削がれていく。まるでゆでガエルのように。
人は良き人と付き合えば、薫習といって、その教えが体にしみ込んでくる。霧の中を歩めば、自ずと衣が濡れると同じ現象である。孟母三遷の教えも同じ意味である。
だからこそ「3年かけて、師を探せ」である。私は馬場恵峰先生に15年間の指導とお付き合いをさせていただき、よき薫習を得たと感謝している。
モノには精霊が宿る
そのモノを買って、自分も相手も社会も幸せになるだろか。モノに宿る精霊が人生を変える。
私も数年前に、血迷ってレクサスLSを買ってしまって、当初は幸せいっぱいであった。しかし暫らくして不幸になっていった。要は、自分を見失い、分不相応なものを買ってしまったのだ。やっていけないことは、やってみないと分からないものだ。それで自分の愚かさレベルを再確認した。
レクサスLS等の高級車は「二号さん」と一緒で、乗っている時は楽しいが、乗らない時の維持費が大変なのだ。重量税(88,000円)、保険代(88,000円)、駐車場代(年間250,000円)、車検代、ガソリン代等、が重くのしかかってきて耐えきれず、私は2年で手放した(実は別宅を買うことが急に決まり、金が必要になったため)。
出会うべきご縁
しかし良い経験はできた。2018年、馬場恵峰先生ご夫妻が中部地区に来られた時、ご夫妻を送迎できるご縁ができて幸せであった。「良い車に乗れた」と馬場三根子先生から大喜びされた。あの時、レクサスLSを買うと言う縁を見逃せば、親とも慕う馬場恵峰先生ご夫妻に、良き思いをしてもらうことができなかった。その2年後にお二人共、急に亡くなられたからだ。また不思議なことに、馬場恵峰先生ご夫妻を犬山名鉄ホテルにお送りした数か月後、そのホテルが耐震強度不足とかで、壊されてしまい、この世から消滅してしまった。
私がレクサスLSを買うと言うご縁は、早からず遅からず、出会うべきご縁であったようだ。
レクサスLSは、今まで憧れの車であった。それを所有して乗り回してみて、当初は感激したが、しばらくすると麻痺して、ああこんなもんか、で終わってしまった。まるで麻疹のようなものだ。「何時かはクラウンではなく、いつかはレクサス」という夢から覚めた。金はかかったが、良き夢を見れて後悔はしていない。夢をみるのにもお金がかかるのだ。お金とは経験を得るための道具である。もっと分相応のお金持ちになってから、高級車は買えばよいと悟った。正に格物致知である。
この車で馬場恵峰先生ご夫妻を彦根、関ヶ原合戦場跡、大垣、犬山にご案内した。
犬山名鉄ホテル前で。そのホテルもその後、壊されてこの世から消滅した。
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その組織に入って(入社)幸せ?
その会社に入って、自分とその会社が幸せになるか、その会社で社会に貢献できるかを見極めないと、お互いが不幸になる。その会社がブラック企業なら完全にアウトである。自分の使命は何かを明確にしないと、お互いが幸せになれない。金だけを目的して働けば、自分を見失うことになる。
私も若い頃のバブル期、金融業の給与の高さに羨望のまなざしを向けたが、今にして、泥臭い技術の道を歩んでよかったと回想している。金は一つの道具であって、目的にはならない。
食べ物の毒
そのモノを食べて、真の幸せになれるかで、それを選択すべきだ。
それを食べた時、それを嗜んだ時に幸せになれても、後年、その害毒で苦しめられては、騙されたことになる。例えば、煙草、酒、スィーツ等である。これは本能ではなく、理性で考えれば、すぐ正しい選択が出来る。その美味なる毒は、食べた当初は麻薬のように幸せにしてくれるが、20年後には地獄への片道切符に変貌する。
酒は発癌性物質である。それで日本人の2人に一人ががんになる時代となった。認知症への誘導物質でもある。
スィーツや清涼飲料水の過剰な糖質は血管内部を傷つけ、糖尿病、心筋梗塞、脳梗塞の遠因となる。
タバコはがんの最大要因である。タバコで傷つけられた肺の組織は、二度と再生しない。酸素タンクを引きずって、街を歩いている人を見ると、煙草を吸わなくてよかったと思う。
それも親がタバコを吸わないという「薫習」を私にしてくれたのだ。子供は親の言う事は聞かない。親のやっている通りにやる。親に感謝である。
馬場恵峰書 日中文化資料館蔵
馬場恵峰書 上の巻物を抜粋した板書を恵峰先生にお願いした
2021-10-30 久志能幾研究所通信 2195 小田泰仙
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