供養塔と「新製品のお墓」を改建
当初は、北尾家の叔母が亡くなり、北尾家が絶えたので、その供養塔を作る予定であった。しかし小田家の先祖の諸精霊もあることから、経費削減も兼ねて共同の供養塔にすることにした。
馬場家の供養塔を参考に、地水火風空を表す梵字を小さく入れた。馬場先生の助言では、大きな梵字では品が無いとのこと。供養塔は、見れば供養塔と分かるので、「○○家之供養塔」の「之供養塔」を入れるのをやめた。その代わりに花台に北尾家、小田家の文字を入れた。内部の納骨室の5面に梵字をいれた。
北尾家のお墓は供養塔を含めて4基で、自家と従弟の家の墓で、全部で6基のお墓である。今までそのお守りが大変であった。それを今回、3基に統合して改建した。
この歳になるまで、供養塔の意味を知らなかったのが、恥ずかしながらの現実である。昔のお墓は供養塔が主流で、「新製品」として明治以降に現在の形のお墓が作られるようになった。高野山にいくと、昔のお墓である五輪塔が林立している。叔母である安寿さんが北尾家の先祖供養塔を新たに建てていたので、それを踏襲して、今回、供養塔を改建するご縁となった。
「新製品」の現在形のお墓は、供養塔より形が簡単なので製作も容易で、コストダウンとなっているので、明治以降に一般に広まった。
五輪塔
五輪塔は、主に供養塔・墓塔として使われる仏塔の一種で、五輪卒塔婆、五輪解脱とも呼ばれる。一説に五輪塔の形はインドが発祥といわれ、本来舎利(遺骨)を入れる容器として使われていたといわれるが、インドや中国、朝鮮に遺物は存在しない。日本では平安時代末期から供養塔、供養墓として多く見られるようになる。このため現在では経典の記述に基づき日本で考案されたものとの考えが有力である。
教理上では、方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、仏教で言う地水火風空の五大を表すものとする。石造では平安後期以来日本石塔の主流として流行した。五輪塔の形式は、石造では、下から、地輪は方形(六面体)、水輪は球形、火輪は宝形屋根型、風輪は半球形、空輪は宝殊型によって表される。密教系の塔で、各輪四方に四門の梵字を表したものが多い。しかし早くから宗派を超えて用いられた。(この項、wikipedia より)
高野山にある新明和工業のロケット型の慰霊碑を最初に見た当初は、違和感を覚えたが、碑の横の解説文を読んで、ロケットの各段が五輪塔の各々の地水火風空の五大を表していることで納得をした。ロケットの形で平和を祈念した慰霊碑としたという。
五輪塔やお墓の意味を今回、65になってはじめて知った。世の中、知らないことばかり。お墓を改建するご縁で、それを知った。お墓を改建しなければ、死ぬまで知らなかったであろう。
2021-07-28 久志能幾研究所通信 2103 小田泰仙
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