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2020年10月28日 (水)

切腹の覚悟 生きる為に食うか、食う為に生きるか?

 

 自分が、生きるために食うか、食うために生きるか、何方を選択しているか自問しよう。腹を切る覚悟で考えよう。

 

Go To 淫豚

 先日、己は食うために、生きる豚になってしまった。友に誘われて、「Go To イート」で昼飯を食べに、大垣から隣の街まで足を伸ばした。当初、20分くらいで行けると思っていたが、実際は渋滞があり45分もかかってしまった。往復で1時間半の浪費である。時間価値を1分100円として、9,000円の人生負担である。たかが1600円のしゃぶしゃぶ食べ放題を味わう為、残り少ない人生時間をそんなに浪費しても良いものか、考えてしまった。

 しゃぶしゃぶの食べ放題は、牛ちゃんを必要以上に殺すこと。我々を霊長類として生を授けて頂いた仏様に申し訳ない気がする。利他少欲の教えに反することだ。

 食べるものが、美味しくなくてもよい、安くなくてもよい。たくさん食べられなくてよい。労働をして働いてお腹が空けば、何でも美味しい。私は残り少ない人生時間内で、無意味な殺生を止め、無駄な時間を使わないようにしたい。仏様は、その反省材料を提供してくれた。

 

行列は罪

 だから私は行列のできるお店には行かない。10分間、行列で待つとは、食事に1,000円も余分に払うことになる。行列とは、理に合わない異常事態なのだ。トヨタ生産方式では、生産の平準化が基本である。おカネの問題ではない。その時間分、人生でやるべきことが出来なくなるのだ。それで病気になるとは、残業をすることだ。

 

切腹

 食べるとは、生きて仕事をするために食べるのだ。それを食欲に身を委ねては、食べ放題で食べ過ぎるのは、罪である。それでは食べる意味が、「食べるために生きる」になってしまう。それは人として恥ずかしい。それは将来、罰として病気の元になる。近い未来に自分で自分の腹に、手術用メスを入れて切ることになる。切腹である。私は去年に経験すみである。二度と腹は切りたくない。

 

P10702501s  馬場恵峰書

2020-10-28 久志能幾研究所通信 1805  小田泰仙

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