磨墨知590-3. 何を置いて逝くのか(改定)
老いて、追いて、負うて、於いて、擱いて、
人間は一生をかけて(80年×365日=29,200日)、何を現世に置いてあの世に旅たつのか。自分は何をおいていくか、自問しよう。
土から生まれた肉体は、いつかは土に帰る。土でできた肉体は大きな器である。最初は小さな器も、学びで大きくなる。その器に何を入れて昇華させるのか。それが人間の生き様であり、成果である。それが時間の創造である。
かけた時間に相応して、人生が決まり、昇華する価値が決まる。人は何にお金を使い、何に時間を使い、誰に出会い、何を志したか、何時の時代に、何処で生きたかで、人生が決まる。人生は決して夢幻ではないのだ。
何を追うのか?
己が生きた証を後進が継いでくれる。そのために、生前に何を追うのか?
何を追うて死ぬのか?
河村義子先生は、大垣に音楽の文化を根付かせようと音楽に命を捧げた。その精霊の魂を後進が受け継いでいる。
何を負うていくのか?
人は重荷を背負って長い坂を登っている。人生で何を背負っていく決意があるのか? それは途中で逝っても悔いのない重荷なのか? その覚悟が曖昧だから、人生が曖昧になる。
私の枕もとの壁に、徳川家康公の家康遺訓の軸を掲げている。目覚めと就寝時に、嫌でも目に入り読んでいる。
人の一生は重き荷を背負って遠き道を行くが如し。(家康遺訓)
何を擱いていくのか?(おいて 例:箸を擱く)
自分にとって、人生で一番大事なことは何か? 死とは、それを擱いて逝くのだ。それは何かを認識して、死の直前まで、それを擱かずに全力投球しよう。私は死んだらペンを擱く。
何に於いてなら死ねるのか?
人は金のためには死ねないが、義のためなら死ねる。何の義に於いて、この世を生きるのか。
やることをやり切れば、後は野となれ山となれ、でよい。それが言えれば、良き人生であったと、安らかに永眠できるだろう。
昨年、癌を患い、この項が頭にこびりついて離れない。それで以前(2018年10月26日)に公開した内容を改定した。
人生ホテルのチェックアウト
人は人生ホテルに、裸でチェックインして、裸でチェックアウトする。どんな立派なホテルに泊まっても、いつかはチェックアウトしなければならぬ。それも自分の意思ではなく、ある日突然に追い出される。その時、身につけるのは経帷子のみ。その時、己は此の世に何を置いて逝くのか。それを意識して生きよう。
2018-10-26 初稿
2020-09-13 改定 久志能幾研究所 1750 小田泰仙
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