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2020年9月15日 (火)

磨墨知401. 尖った「絵の具」を増やそう

 人生のキャンパスに絵を描くため、自分が使える「絵の具」の種類を増せば、時間効率とその出来栄えの深みが増す。絵の具とは、自分の才能、努力、資源である。それプラスが、好きこそモノの上手なれである。それに対するコダワリの深さである。私はそれをオダワリと称している。

 私は今まで多くの趣味に手を出して楽しんできた。それも深追いである。それこそが自分の「絵の具」を増やすことだ。人並みの「絵の具」では、人並みの成果しか出ない。私は仕事と趣味にこだわりを持ち、本業に精進できて幸せである。人生で、会社と家の往復だけで、金儲けだけに過ごした日々だけは、つまらない。

 

労働基準法に反旗

 私はもっと働きたいのに、2000年ごろから社会問題となって過労死防止、労働基準法順守とかで、会社は働きたくても働かせてくれなかった。休む権利があるなら、働く権利もあるはずだ。おカネの問題ではないのだ。日本中で定時になったら「早く帰れ」と大合唱である。労働と仕事を区別できない労使が私の邪魔をした。労働とは頭を真っ白にして肉体を酷使して成果を作ること。だから現場の労働は、厳密に労働時間管理が必要である。

 しかし研究等の仕事は、労働基準法とは別なのだ。頭を使って創造物を造るのは、奴隷労働とは違うのだ。だから創造性ある仕事はすればするほど、面白い。時間の経つのを忘れさせる。それを制限するのはおかしい。

 その仕事の疲れをいやすため別分野の没頭が、本業を更に輝かせてくれる。私にはそれが飛行機の写真撮影や模型製作、音楽演奏、演奏撮影、美術館巡り、読書、エッセイ作成であった。ODAのオダワリのこだわりは半端ではないと自負している。

 

宝物の言葉のお返し

 ミシガ大学でのテクニカルライティングセミナーの体験記をまとめた『ミシガ大学セミナー体験記』(1994年)を関係者に回覧したら、K君からの感想文で(1999年頃)、宝物の言葉をお返しにもらった。下記はその返信文。

 

 私が子供のころに先生から教わって、いまだに頭に残っているという教えが、「絵の具をけちけち使っていては、良い絵は描けない」です。それを「社会人として実践するには、絵の具(時間と労力は知力)を出来る限り注ぎ込むことと解釈し、これまで頑張ってきました。しかし、この様なやり方はただ自分をすり減らすだけで、“良い絵”を描くことにはなっていなかったと今は感じています。

 “絵の具”をたくさん出せるように、自分をキープする大切さ(=自己啓発)を思い出させてくれる大きなきっかけを『ミシガン大学体験記』から感じることができ、大変ありがたく思っています。」

 

「絵の具」

 「絵の具」の話は、初めて聞いた「いい言葉」である。絵の具はふんだんに使ってこそいい絵が描けるはずだ。今は「なにもそこまでしなくても」と言われるくらいやらないと、「お客様」に感動してもらえない。お客様が「そこまでしてくれるか」のと涙を流さんばかりに喜んでくれるまでやるのがプロだ。そのためには絵の具を使うのに躊躇してはならぬ。絵の具は多量に、かつ多種を使うべきだ。仕事をやっていく上で、我々の後工程、回りの人は全てお客様と認識すれば、自ずとやるべきことは明白になる。

 

誰にも負けない「絵の具」

 さらに大事なことは、だれも持っていない絵の具を手に入れること。それも尖った絵の具である。それを使って誰にも描けなかった人生絵を描くこと。既製品の絵の具では、並みの人生絵しか描けない。

 

固まった絵の具

 既製品の絵の具でもいいから、頭を使った絵の具の使い方をしなくてはならない。いくら体の汗をかいて頑張っても、頭を使わなかったため、定年後、終わった人になる悲劇がある。その後が認知症である。絵の具を使わないから、持てる絵の具が固まって、チューブから出てこないのだ。その悲劇が頻繁に新聞紙上を賑わすようになった。

 

固まらない絵の具

 私の絵の具の特徴は、長期間かたまらないこと。50年たっても私のその趣味に対する情熱は変わらず、固まらない。私には他に自慢する能力は無いが、この継続性だけは人に自慢できる。

 

教育に金の糸目を付けない

 何処にもない尖った「絵の具」を入手するためには、私は「教育投資には金の糸目をつけない」である。私は昔、本屋、新聞等で目についた本やテープ等を見境なく買いまくっていた。結果として、月に本代を4~5万円使っていた。その20年後の結果が4トンの蔵書である。そのままでは床が抜けるので、床を補強して書庫を造る羽目になった。この蔵書が、私の「絵の具」の一つである。

 K君は、「絵の具」を「時間と労力と知力」と定義したが、これを私は、人生キャッシュフローと定義する。いかに自分の成長のために、お金を使うかだ。

 お金で幸福は買えないが、不幸を避ける段取りと知恵はお金で入手できる。その知恵の集大成が「本」である。なぜなら、本には著者の「時間と労力と知力」が主役されている。その本の内容を自ら手に入れようとすると膨大な時間と人工がかかる。それがたった千円前後で入手可能なのだ。だから、その点で自著『ミシガ大学セミナー体験記』にも、付加価値が高いと自負している。それをT君の感想文で再確認できた。

 

 人生を豊かにする道具は、尖った絵の具である。

 

2020-09-15 久志能幾研究所 1751 小田泰仙 

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