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2020年8月 2日 (日)

相田みつをが出逢った逆縁の菩薩

 相田みつを氏は学生の時、喫煙の濡れ衣を着せられ、不良学生と烙印を押された。そのため相田氏は、軍事教練の教官から徹底的に虐められた。結果として軍事教練の単位が、相田氏だけとれず落第となり、進学できなかった。

 当時、軍事教練の単位がないと進学できない時代である。氏はそのため寂しい青春を過ごすことになり、ある縁で在家ながら禅の道を学んだ。それが後に書の道に進む縁に結びつく。

 大学に進んでいたら、学徒動員で戦死していた恐れがある。氏はこの軍事教官を「逆縁の菩薩」と呼んでいる。なにが人生で幸いするか、人知を超えた天の計らいである。この軍事教官は、相田みつを氏には福の神であった。

 

馬場恵峰師の見た夢

福の神・貧乏神

 美しく着飾った女性が資料館を訪ねて来た。どなたでしょう…と聞くと「私は富を与える福の神だ」と答えた。館長は大喜びで奥へ迎え入れた。しばらくしてみすぼらしいなりをして色青ざめた女が訪ねて来た。聞くと、「私は貧乏神だ」と言う。驚いて館長は、貧乏神さまでもおことわりと、追い返そうとすると女は言った。「私を追い返すの…..愚かな事よね….と。先に迎え入れられた福の神は、私の姉で姉妹はいつも離れた事はないのだから、私を追い出せば、姉もいなくなりますよ….」と言って、みすぼらしい女は出て行った。間もなく姉の福の神もこの館から消え去っていた。

 館長は夢から醒めると、この様をよく考え直して見た。人間というものは一方的に都合の良いことのみを願っても、それは達成されるものではない。福があるから禍があり、良いことがあれば悪いこともある。生があるから死がある。相合う喜びあれば別れの悲しみあり。これが人生の真実。相反する禍福を超えて執着しないところにこそ堅実な人生の生き方と….地位が上がった、収入が増えた….そういう得意の絶頂で、禍の谷の深さを意識しない位あぶないものはない….館長は良い反省の夢と手を合わせた。資料館造って20年様々な出逢い喜び悲しみ別れ等々。落成記念写真の120名来賓の中、物故者も20名を超え、20名以上の人が病院そのほかでなかなか会えない。今この四曲の200余の和歌、日頃訪中の折々、いろは歌等々思い出多く自作たるもの、下記つづりしものにして、思いもよらず親愛なる新立大工の心配りのものにして、全長二米八十の屏風本体と共に、館落成20周年の得難き人情交友のあかしとして他に類なき尊いものと言えよう。戌子の上冬の夜も次第に深くなり。また齢82翁の今日も終らんとする。みかん園も活気づく頃も、もう20回。山里の四季の中で過ごす事の有難を感謝して手の痛みと付き合いながら重い深きひと時、天之機緘不測、即天が人間に与える運命のからくりは人知では到底はかり知る事はできない。残された人生に、唯一筋書芸三昧の歩みに餘念なく。館長の夢は大きな玉手箱と…今日も終らんとす。ここに随筆として一篇即興書きどどむ。

          平成20年10月21日三宝斎恵峰

 

 自分の人生を振り返り、谷があるから山がある。谷での試練が有るから、成長ができた。人生塞翁が馬である。いいことばかりの人生などない、が70近くまで生きてきて学んだ真理である。

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 福の神・貧乏神の板書を解説する馬場恵峰師  図書館にて 2011年4月2日

 この板書は書の収納箱の蓋に書かれている。

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2020-08-02 久志能幾研究所通信 1686 小田泰仙

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