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2020年8月17日 (月)

逆縁の菩薩1  東大入試中止

 当時、私にとってこんな不幸はないと嘆いた事件が、10年たって振り返ると、それは逆縁の菩薩であった事例が生涯で5度もある。それ以外にも、その当時は不幸な事件として嘆いたことが、後日それが運命の好転につながった事件が多い。その学びは、「不幸に出会っても自暴自棄になるのではなく、それをバネに精進することで、人生が好転する」である。

 

大学受験失敗

 私の最初の逆縁の菩薩とのご縁は、1969年東大入試中止である。私が東大にいけるわけではないが、東大に行く人が京大に、京大に行く人が名大にと、当時の受験生は1ランクを落として大学に進学した。私は例年ならカスカスで国立二期校に合格できるはずが、国立大学の受験はすべて失敗した。父の定年の関係で、浪人は許されないので、滑り止めで受けた私立大学に不本意ながら入学した。

 私は国立にいけなかった悔しさがあり、特待生を狙って学業に精を出した。当時の大学は、国立大学でも学生は遊んでいた。ましてや私立の大学生は遊んでいる。それを真面目に勉強して、戦術として特待生を狙うなら、特待生は意外と簡単に獲得できる。

 授業では、必ず最前列席に座って先生に顔を覚えてもらう。授業の欠席はしない。取れる単位は全て取る。出された課題レポートも真面目に取り組む。夏休み期間中も、後期の試験に向けて一定の勉強は欠かさない。アルバイトはしない。勉強することがアルバイトである。

 この2年間の精進で、予定通り全優に近い成績で、特待生になれた。授業料免除である。そのまま卒業まで一番を維持した。親孝行としてよかったと思う。ご褒美で、親から少々の贅沢をさせてもらった。

 

菩薩に見守られる

 そのお陰で、就職もトヨタ系に学校推薦のような形で入社できた。母は地元の会社に入ることを望んでいたが、私は母親から逃げたかったので、敢えて遠くの会社を選んだ。今、振り返ると、地元の会社ではその後の人生の展開が限定された。世界を舞台に仕事ができて幸せだったと思う。

 その後の人生で、大学をトップで卒業して、卒業式で総代になると、その後の人生でそれが目に見えぬ菩薩となる。一番と2番の差は限りなく大きいことを実感した。会社を辞めたくても、大学の名誉や後の卒業生のことを考える、勝手に辞められない。不真面目に勤めることも気が引ける。会社も並の国立大学出の同期よりも、特別扱いをしてくれる。おかげで若いときは、研究開発部で仕事をさせてもらい、海外経験を含めて多くの経験を積むことができた。同期で国立を出た人間が、もっとひどい職場に配属されているのを見ると、あのとき頑張って特待生を獲得してよかったと思う。それも国立大学受験を失敗した「お陰」である。

 

同窓生の自殺

 大学卒業の年、私のクラスで成績2番のS君が、4月1日の入社当日の夜、タイマーを使って感電自殺をした。いまだその原因は不明である。教室で彼の行動を横から見ていて、S君は真面目ではあったが、覇気が感じられなかったことだけは覚えている。私と張り合って1番を目指す生き方をしていれば、自殺など考えなかっただろうにと残念に思う。

 

背負った十字架

 私も会社時代、仕事で生きづまり何度も自殺を考えたが、お世話になった大学のご恩を考えて、それを思いとどまった。だから特待生という看板は、自殺防止、辞表防止にも役立っていた。

 逆縁の菩薩とは、自分を𠮟咤激励する守り佛の菩薩である。厳しさがあるから人間として成長できる。難題とは、なにも試練のない平穏無事な人生では、私が堕落すると佛様が考えて、私に授ける糧なのだ。それに真面目に取り組むのが人生だと思う。課題に取り組むから、能力が向上する。

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 馬場恵峰書

4k8a04291s 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩

 

2020-08-17 久志能幾研究所通信 1710  小田泰仙

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