私は占い師
一番確実な未来予知の方法は、未来自体を造りだしてしまうことである。 (ピーター・ドラッカー)
未来を予測するとは、暗夜の田舎の道を無灯灯で、バックミラーを見ながら一人で走るようなものだ。一番確実な未来予知の方法は、未来自体を造りだしてしまうことである。
Trying to predict the future is like trying to drive alone a country road at night with no lights while looking out the back window. The best way to predict the future is to create it.
スティーブ・モリヤマ著『ユダヤ人 成功者たちに密かに伝わる魔法の言葉』
占いの遍歴
一時期(40年ほど前)、私は人生に悩み、占いに凝ったこともあった。それで数十万円を散財した。世には腐るほど多くの占いの種類がある。どれを信じていいか、占う必要がある?
オウム真理教の麻原教祖がその拡販手口を真似した雛形が、阿含宗である。その中部地区の支部に出向き、桐山教祖の説法も聞いたことがある。その教団の占い書も読み漁った。途中でそのいかさまに気が付き、引き返した。
天中殺にもハマり、東京まで行き、時の和泉宗章にも占ってもらったことがある。占い料が当時半年待ちの30分間で2万円である。天中殺は四柱推命の変形であり、相応には当たった。
それより当たる占いは人相占い、手相占いである。だから私は人間ウォッチが趣味である。事件がありその犯人や当事者の顔写真が新聞に載ると、それを検証してデータとして保管している。顔はその人の全てを表している。
その後、仕事が死ぬほど忙しくなり、占いのことなど忘れてしまった。要は、仕事に真剣に向かってなかったので、占いの道に嵌ってしまったのだ。
占いとは
本来、占いとは、人生の裏道に咲く仇花である。お釈迦様は占いなどされなかった。お釈迦様は、あの世が有るともないとも言われなかった。地獄や極楽などの話しは後世の創作である。
名君といわれた中国の王様は、専属の占い師を高給で雇っていたが、ついぞその占いを使ったことがなかったという。その治世は平穏太平であった。
もともと仏教では信徒の勧誘は禁止されている。それはキリスト教でも同じである。新興宗教団体が信徒獲得で血なまこになっているが、本来は禁止である。信徒を勧誘する教団はいかさまである。その信徒獲得の拡販材料が「占い」である。相手を占いで不安にさせて教団に引きずり込む手口である。
馬場恵峰先生との出逢い
占いでは人生問題は解決せず、仕事に没頭して解決した。ところが職場で昇格して部下ができ、今度は指導力の問題で悩むことになる。「行くぞ!」と全力で突っ走っていて、ふと後ろを振り返ると、誰も付いて来てないのだ。それから各種のセミナーや講演会を回った。その過程で、2006年に馬場恵峰先生に出会い、しばらくして本物の師に巡り合ったと分かった。本物の師に出会えたのは、人生に悩み本物を求めてさまよい歩いたからだ。求めなければ、何事も手に入らない。
そこで教えられたのは、自分の人生は自分で切り開くことである。人生で降りかかる事件や苦難は、自分を育ててくれるために仏様が段取りしたことだと、最近になって悟った。占いのレベルではないのだ。
仏様の真意を悟り、自分の人生を切り開き、新しい人生を創ればよいのだ。人に占ってもらう必要はない。
「天之機緘不測」(菜根譚)
天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は力説される。
2020-07-14 久志能幾研究所通信 1665 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
コメント