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2020年6月20日 (土)

心の成長は10段階。菩薩を目指す

心の波長

 人間の運命は心が生み出す。良いことを思えば、良いことが起こり、悪く考えれば、悪くなる。

 「怖れるな。怖れることは怖れることを引き寄せる」とキリストは言った。人間の心はその波長に合ったものを引き寄せる。それはラジオ放送局の発信波長が、遠くのラジオのアンテナで受けられ、その電波と共振して音として再生できると同じ原理である。

 

心のアンテナ

 利権を求める電波を発して旅すれば、利権の亡者に出会う。佛を求めて旅すれば、佛にご縁のある人に出会う。常に心が善であれば善を引き寄せ、感謝には感謝が返ってくる。「求めよ、されば与えられん」と東西の神仏は同じことを言っている。夢を求めて人生を旅すれば、夢を叶えるご縁に出会う。求めなければ、決して実現しない。全て己の心が求めたものである。

 心には力がある。その心の叫びが言霊である。その力はプラスにもマイナスにも働く。悪運でもその心の叫びが勝てば、運命を変えられる。その叫びを一番多く、一番大きな音で聴くのは己である。人生は一番多く接した声に影響される。それ故、古の聖賢は心を鍛え、調えることの必要を説いた。

 

仏教は人間の心の状態を10段階に分ける。

 地獄(幸福を感ずることのできない世界)

 餓鬼(欲望の世界)

 畜生(倫理のない世界)

 修羅(闘争を好む弱肉強食の世界)

 人間(精神的なものを求めるが、まだ物欲の強い世界)

 天上(人間以上に精神的なものを求めるが、油断すると地獄に落ちる世界)

 声聞(いい人の教えを聞いて近づこうとする世界)

 縁覚(何かの機縁で自分から悟る世界)

 菩薩(自分が悟り、人を良くしていこうとする世界)

 そして仏の10段階である。

 

心の変化

 この10の世界は別々にあるのではない。一人の人間の中には、時代により、己の成長により、回りの環境変化により、時間経過により、いろいろな心の動きがある。人は常に一つの界にいるわけではない。ある時は修羅界をさ迷い、天上界にも身を置くことがある。ある時は地獄界をさ迷い、罪の意識に目覚めて天上界に目覚めることもある。未熟な心は常に地獄から天井界までをジェットコースターのように疾走している。それが人間である。それが生きている証である。

 

佛を目指して

 菩薩になれと言うわけではない。生きるためには、畜生にならねばならぬ時もある。戦争になれば、餓鬼、畜生にならねば、銃後の妻子供が守れない。しかし平和になれば、せめて修羅界、人間界で過ごさねば、人間として生まれた甲斐がない。

 欲望がなくなれば菩薩であるが、それでは人間として死んだ状態である。生きている限り、さ迷えばよいのだ。未熟な私はいつも迷っている。人間として生きている限り、迷いつつも、菩薩、佛という北極星を目指して精進すればよいのだ。目指す場所さえ明確なら、何時かは目的地に到達する。

 

私の人物観察

 私は上記の10の段階評価で、人を観察している。その前に、自分がどの段階にいるかを、いつも自省している。菩薩界は無理としても、せめて天上界をめざしたいもの。

 大垣市長の小川敏は、過去の行動を観察すると、餓鬼、畜生の世界をさ迷っているようだ。そんなレベルの人を大垣市長として頂くと、大垣市民は不幸である。だから大垣市は没落した。

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 飛天 岩田明彩絵仏師 

 

2020-06-20 久志能幾研究所通信 1639 小田泰仙

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