運の悪いヤツとは付き合うな
かのナポレオンは、運の悪いヤツを部下にすることを徹底して避けた。運の悪い部下を持つと、自分の運が悪くなるという哲学であった。時にはジプシー女にも占わせたり、自分でカード占いをしたという。
運の悪いヤツは、運が悪くなる生活リズムで生きている。運の悪いヤツは顔が陰気である。話すことが陰気である。その行動が後ろ向きである。運の悪いヤツと付き合って、その波動を受けると、自分まで運が悪くなる。だから運の悪いヤツはとは付き合ってはダメなのだ。
冥資
サラリーマン生活での中間管理職は、部下をそう自由に選ぶことはできない。同様に上司を選ぶこともできない。それをできないと考えると、益々運が悪くなる。誰に聞いても、その対策案で納得できるものはなかった。
強いて言うと「冥資」を受けられる徳や運を身に付けるしかあるまい。「冥資」とは知らない間に受ける佛の加護である。
要領
「冥資」を受けるには要領をよくすること。要領とは物事の勘所であり、物事をうまく処理する手段である。地獄のシベリア抑留から生還された丸順の今川順夫最高顧問(当時)は、「生きて帰れたのは、(良い意味で)要領がよかったから」と言っておられる。
同じく地獄のアウシュビッツ強制収容所から生還したヴィクトル・E・フランクルは、その著書『夜と霧』の中で言う。地獄の強制収容所で生き延びた者は、生きる目的を持っていた。生きる目的を達成する為には、要領よくせねばならぬ。頭でっかちの利口では駄目だ。賢くなければ、運が良くならないし、生きていけない。
耐える時
サラリーマンとして悪運の強い上司の下に異動となったら、我慢するか反抗するかの選択が問われる。大企業では往々に有名大学出のエリートが上司になっている。だから、それに逆らと大変だ。私は、宮仕えとはそういうものと覚悟(達観)していたので、心の中では舌を出していたが、表面的には、じっと耐えてサラリーマン時代を過ごした。悪運という嵐が頭の上に来ているなら、じっと耐えて身を低くするしかない。悪運の風をまともに受けては倒れてしまう。柳のように受け流せばよい。それが宇宙根源の理である。物理学の応用である。
その私が、その上司のもとから、別の部署に異動した。その時、上司が変わるとこうも環境が変わるものかと驚いた。サラリーマン生活は上司次第である。
反抗して死を選ぶ
一年下の同僚のD君は、頭が切れたが、いつもその上司に立てついたため、海外に飛ばされた。上司は彼が性格的に営業は不向きと知りながら海外の営業職に飛ばした。それが原因で、彼は帰国後、心労がたたり54歳の若さで病死した。私はその上司の推定殺人だとおもう。
サラリーマンが嫌なら独立することだ。それができないなら、嫌われないように保身するのがサラリーマンの智慧である。それが賢者である。運はよくならないが、最悪は避けられる。私の両親は、上司への盆暮の心づけを欠かさなかったので、その危機を避けられた。今にして思うのは、これは危機管理上の保険であった。親のご恩に改めて感謝している。
前職はそれがまかり通るブラック企業であった。D君は頭が良かったが、世間を渡る如才が足りなかった。つまり要領と賢さが足りなかった。メンタル面でもタフでないと宮仕えは勤まらない。
市長にも悪運の強いヤツがいる。それが市民生活に影響するので、たちが悪い。本人は幸せだが、市民が不幸である。会社で悪い上司の下に異動させられたと同じである。どうすればよいか、永遠の課題である。
運の悪いヤツは、
時間にルーズである。
健康に気を付けない。
約束を守らない。
ウソを言う。
酒癖がわるい。
(体に悪いと知っていて)煙草を吸う。
笑顔がない。
ご縁を大事にしない。
出会いを自分から求めない。
チャンスを大事にしない。
愚直なことを大事にしない。
陰徳をおこなわない。
神仏を信じない。
自分が運の悪くなる言動や考えをしていないか、自省したい。
普賢菩薩とは、梵名でサマンタバドラといい、「普く賢い者」の意味であり、彼の世界にあまねく現れ仏の慈悲と理智を顕して人々を救う賢者であることを意味する。また、女人成仏を説く法華経に登場するので、特に女性の信仰を集めた。密教では菩提心(真理を究めて悟りを求めようという心)の象徴とされ、同じ性格を持つ金剛薩埵と同一視される。そのため普賢菩薩はしばしば金剛薩埵の別名でもある金剛手菩薩とも呼ばれる。「遍吉」という異名があり、滅罪の利益がある。(この項、wikipediaより)
2020-05-27 久志能幾研究所通信 1608 小田泰仙
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