「武田信玄公の訓語」を贈られる
2020年4月18日が馬場恵峰先生の奥様の49日の法要であった。このコロナ騒動で、私は49日の法要には参列を自粛した。非常事態宣言が出ている岐阜県から無風状態の長崎県に出向くのは、気が引けたからだ。下手に動いてコロナ菌を先生宅に持ち込んで、高齢の馬場恵峰先生が罹患したら大騒動である。法要にお花を送り、法要への参列は遠慮させていただいた。
先日、恵峰先生から葬儀のお礼の挨拶状と返礼が届いた。それは「武田信玄公の訓語」の掛け軸であった。その言葉をかみしめて、恵峰先生のご先祖に思いを馳せた。
武田信玄公の訓語
心に物なき時は体やすらか也
我慢ある時は愛嬌をうしなう
欲なき時は義理をおこなう
怒りなき時は言葉やわらかなり
誤りなき時は人を恐れず
驕りなき時は人をうやまう
堪忍ある時は事を調す
私なき時は疑うことなし
勇ある時は悔ゆることなし
くもりなき時は静かなり
迷いなき時は人をとがめず
貧りなき時は人にへつらわず
武田信玄公の訓語心についての12か条也
疾如風除如林侵掠如火不動如山
鬼美濃
武田家の武田四天王といわれた馬場信春公は、馬場恵峰先生のご先祖である。武田三代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加したが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかった。このため「不死身の馬場美濃」、「不死身の鬼美濃」と評されている。
長篠の戦いの中、織田・徳川連合軍との決戦で、武田軍は敵の鉄砲隊との攻防で有能な人材を次々と失い大敗を喫した。武田勝頼が退却するのを見届けると、殿軍を務めていた馬場信春公は、反転して追撃の織田軍と壮絶な戦いをして戦死した。『信長公記』に「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評される最期だった。享年61。人生50年といわれた時代の61歳で、現役の将として桁外れの奮闘には驚嘆する。
大阪夏の陣(慶長20年・1615年)に参戦した子孫が戦いに破れて、九州の山奥に落ち延び、焼き物の窯元として身を隠したという。それで馬場恵峰先生が九州に居られるワケである。
「100mの巻物」を揮毫した挑戦でも、下書きなしの一発勝負で、たった3文字しかミスがなく、揃った字体、どんぴしゃの文末配置、素晴らしい書体である。それを見ると、鬼美濃と呼ばれた馬場信春公の先祖がえりで、剣を筆に持ち替えただけと理解すると、先生の天分の由来が理解できる。表の顔の馬場恵峰先生は仏のような方だが、筆を持たせると書道の鬼となる。鬼にならなければ、後進を指導できないし、後世に残る作品は生まれない。
「武田信玄公の訓語」 馬場恵峰書
2020-05-24 久志能幾研究所通信 1604 小田泰仙
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