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2020年5月 5日 (火)

写ッシー君は魂(オニ)を睨む

芸術とは

 音楽とは音を素材に使った心(魂)の会話なのだ。芸術とは心の表現とそれに接せる人との会話である。絵画、彫刻、写真等は、全てその会話の媒介物(仏)でしかない。介在仏の芸術作品には魂が籠っている。私はそれにこだわって美術作品、芸術作品に接している。私の撮る写真には魂を込めている。だから名画と呼ばれる作品は、人の命と同じ価値がある。

 「魂(オニ)」とは己のうちにある「鬼」が「云う」と書いて魂である。

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 松本明慶大仏師作 「魂(オニ)」、背景は馬場恵峰書

 

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裏切り行為

 私はこの5年間、多くの演奏中の写真を撮ってきた。しかし、その写真を撮ってプリントやCDを進呈しても、相手は当然と思い、感謝の言葉を言ってくれる人など皆無に近かった。カメラマンとは黒子の存在で、人扱いをされていないようだ。

 河村先生からはその都度、お礼が来ているので、気にならなかったが、それ以外の人は、礼状もお礼の言葉さえ全くない。たまに忘れたころに年賀状が届き、ついでのようにお礼が書いてある。お礼を期待して写真を撮っているのではないので、今まで気にも留めなかった。しかし河村先生が亡くなられて、その問題点に疑問を感じるようになった。

 

 

人間性の問題

 ある音楽関係者は、写真を送っても礼一つ言わず、その写真の出来映えに文句さえいう有様である。私に写真を撮ることを要求して、撮らせて当然と思っているようだ。私もカメラマンのプロとしてプライドがある。

 ある人は先生の名声を利用して事前の演奏会宣伝で売名行為に走っている。それに地方紙が悪乗りして記事を掲載しても、肝心の本番の演奏会の記事は掲載がない。売名行為が明白である。その人からも、以前にある演奏会の写真送付の依頼があり、その写真を送っても、礼の言葉の一つさえない。

 地方紙に私の撮影した写真が著作権違反で引用されたこともあった。それも勝手にトリミングされての掲載であった。私が魂を込めた作品を踏んづけたのだ。

 それに対照的なのが馬場恵峰先生の書友達である。写真を送ると書友の方だと、必ず手紙、それも毛筆かペンでも直筆の礼状が来る。その差は顕著である。

 

芸術家とは

 芸術家は、自分の才能に惚れて、往々に我儘な性格になるようだ。小さい頃からちやほやされ、プレゼントされても当然の世界に浸るのかもしれない。芸術家は華やかな世界だが、離婚者も多い。自分の稀有な才能に自惚れて、我慢が出来ない性格になるのかも知れない。

 芸術家である前に、一人の人間としてありたい。河村義子先生はピアニストである前に、人間味のある主婦であり、母であり、教育者であった。しかし、そこまで弟子達を指導できなかった先生が不憫である。河村先生に群がった人の中には、そうでない人が多くいたようだ。

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 チェリストTIMMとの共演 音楽堂 2017年9月29日 

 

2020-05-05   久志能幾研究所通信 1569 小田泰仙

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