磨墨智89 決断できない部下は崖から突き落とそう
自分は清水寺の舞台から飛び降りよう
成長する部下はそっと背中を押すだけで、自然に一歩踏み出してくれる。3分間で決断できない部下は、3年間経っても決断できない。
ニュートンの第一法則で、止まっている部下は、永遠に止まっている。だから跳ぶのを待つのは時間の無駄である。獅子が我が子を崖下に突き落とすように、心を鬼にして優柔不断な部下を崖から突き落とそう。きっと大きく成長してはい上がってくる。人の前に克服できない障害は現れない。
優柔不断が人生時計の針の進み方を遅くする。「遅い」というのは罪悪である。人が躊躇うしている間も、宇宙の絶対時間は冷酷に刻まれて進む。何時かは人生の最期の日が訪れる。
清水寺の舞台
優柔不断な自分を、清水寺の舞台から飛び降りるように追い込もう。追い込まれれば、自分は信じがたい力が出せる。「火事場の馬鹿カ」である。「産むが安し」である。
やってしまった後になり、何であんな些細なことに躊躇したのかと、後悔することが、この50年間でしきりである。毎日が反省の日々である。行動して失敗する後悔よりも、しないで後悔した方が、悔いは大きい。跳べなかったのは、跳べるはずがないという、オダ仏教教祖からの自己暗示に罹っていたのである。その洗脳から目を覚まして、人生の宇宙に飛び出そう。洗脳から解放され、宇宙には束縛のない無重力空間が広がる。
洗脳教育
オウム真理教麻原教祖の洗脳教育で、清水寺の舞台から飛び降りるよりも恐ろしい行為をした人たちがいた。信徒は地下鉄内でサリンを撒いた。人として超えてはならぬ一線を超えた人たちだ。それほどに、洗脳教育は怖しい。
その洗脳教育を自分のために、良いことに使おう。「自分はできない」という洗脳教育から抜け出そう。悪いことのために飛び降りるのではなく、世のために清水寺の舞台から飛び降りるなら、神仏が助けてくれる。
重力の壁
ある時、アインシュタインがエリザベス女王に、「この崖から飛び降りるとどうなるでしょうか」と尋ねたことがあった。女王は、飛び降りれば死んでしまうのが当たり前なのに、変な質問ねと思ったという。アインシュタインが聞きたかったのは「飛び降りて落下の途中で、重力の影響のない世界に漂ったら、どうなるでしょう」を聞きたかったという。天才アインシュタインにとって怪我とか死は眼中になかった。
我々は「重力」という社会の常識、慣習、掟、束縛から動けないように制限をされて生きている。我々は、それの束縛がない無重力な世界を体験すべきなのだ。世間のしがらみかを断ち切るとは、清水の舞台から飛び降りることなのだ。だから部下には、部下を支配している潜在意識の束縛から開放するため、崖から突き落とすのだ。(それは上司には快感である? 体感済)
危機に遭遇して、自分を庇ってしまうからドツボに嵌って、益々窮地に追い込まれる。そういう時こそ、勇気を出して一歩前進である。
ご注意
しかし、崖から突き落としてはいけない人がいる。全ての人がリーダになれるわけではない。メンタル的に弱い人もいる。その見極めをしないと、自分の大事な時間が無駄になる。
2020-02-23 久志能幾研究所通信 1489 小田泰仙
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