道元禅師との仮想対話 切に生きる
弟子――「市長の行政で、なぜ発展する街と大垣市のように衰退する街が生まれるのですか」
道元――発展する街は、市長が努力をしているからだ。
弟子――努力をする市長としない市長がいるのは何故ですか。
道元――努力する市長は志があるからだ。
弟子――なぜ志のある市長とない市長が生じるのですか。
道元――志のある市長は、市長には任期があり、何時かは人として死ぬことを知っているからだ。志のない市長は、人間が必ず死ぬことを、本当の意味で知らない。その差である。大垣市の歴代市長が連続で現役死を遂げていることに、目を背けているからだ。永遠に市長の座にいられると思っているからだ。
「道を得ることは、根の利鈍にはよらず、人々皆、法を悟るべきなり。精進と懈怠とによりて、得道の遅速あり。進怠の不同は、志の至ると至らざるとなり。志の至らざることは、無常を思わざる故なり。念々に死去す。畢竟じて且くも留まらず。暫く存ぜる間、時光を空しくすごすことなかれ」『正法眼蔵随門記』
現代語訳:(道を得るかどうかは、生まれつきの利発さや愚かさによるものではない。修行する人は皆必ず悟りに達することができる。ただ一所懸命になって精進して市長道に邁進する人と、怠けて安易な方法に走る人との間には、当然早い遅いの差が生じる。精進するか怠けるかは、志が切実かどうかの違いによる。志が切実でないのは、人生が無常を思わないからだ。人は刻々と死につつある。こうして生きている時間を大切にして、自分を磨いていかなければならない)
「命は光陰に移されて暫らくもとどめが難し、紅顔いずくへか去りにし尋ねんとするに蹝跡なし。」『修証義 第一章』
切に生きる
切に生きるとは、ひたすらに生きる、である。今ここの一瞬一瞬をひたむきに生きる。小我を忘れ、何かに懸命に打ち込む。その時、生は本然の輝きを放つ。
志のある市長は、一過性の宴のギネス水饅頭の早食いで有頂天にならない。ひたすら市民の為に働くのだ。
市長道
市民税を無駄遣いしないのが正しい市長道である。小川敏市長は、市制100周年記念行事で散財して、予算3億円余が、実際は3億5千万円ほどになり、大垣市の財政に5千万円程の穴を空けたようだ。予算の使用用途は、市長が強欲で作った条令でマル秘扱いなので、不明だが、状況証拠と推定値での話である。市役所の各部に経費節約、外部業者への支払い停止等の大号令をかけて、大混乱のようだ。小川敏市長の節約との号令とは大違いの無駄遣いの尻ぬぐいである。
馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」久志能幾研究所刊より
2019-08-25 久志能幾研究所通信No.1317 小田泰仙
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