何のために「道(WAY)」を学ぶのか?
人生の品質向上のため。(自己の価値創造)
現代版「人の道」を学ぶ(修身)ため。
自分の人生は、思いを込めて創り上げた作品である。
死に臨んで、その作品が虚しいと後悔しないために学ぶ。
人間として、人間らしく生きるために、身を修めて学ぶ。
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WAY: 自分が能く死ぬため。(=良く生きるため)
法令順守: 人として守るべき基準を維持するため。
危機管理: 組織や自分に悲惨な死に方をさせないため。
人間は、人のために生きてこそ、回りから生かされる。自分の歩いた道が、人の道標となる。人間としての生き方が明確でないから死に臨んでじたばたする。死とは生物の死だけでなく、定年、任期満了、人事異動、転職、プロジェクトの終結等、全ての事象には終結としての死がある。万物は始まれば、必ず終わり(死)がある。
生きる道で、死を前提にしないから終わりに直面して狼狽える。どんな職務でも任期がある。いくら長期の現役を謳歌しても、現役のままの突然死もある。覚悟を決めれば、何も怖れることはない。どうせ何時かは死ぬんだ。「後は野となれ山となれ」と達観して、やるべきことを粛々と進めればよい。
その覚悟がないから、決めることも決められず、目先の利権に囚われと、やることがいい加減になる。結果として成果がでない。途中挫折、定年離婚、鬱病、自殺、生ける屍となってしまう。
良く働いた一日が安らかな眠りを誘うように、良く生きた人生は安らかな死を得る。(ゲーテ)
次項は「大垣市長WAY」を考察する。
2019-07-18 久志能幾研究所通信No.1262 小田泰仙
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