大垣の春を待つ
初雪
この8月末に閉店する大垣の百貨店ヤナゲンで、5月に中島潔展が開催された。ご縁がありリトグラフ「初雪」を購入した。この絵は最後の2枚だということで、せかされるように購入した。この絵はこの展示会の後、長崎のデパートまで旅をして、1か月後の6月24日に自宅に納品された。自宅でよく見るとなかなか良い絵である。
この絵は、なにかノスタルジアを感じる絵である。中島潔画伯の故郷の駅の風景という。廃線になった線路が曲がって表現されている。自分の生まれ故郷を大事にする。そこは自分の原点なのだ。故郷がどんなに寂れても、故郷は故郷である。そこで自分は育ててもらったのだ。
中島潔作「初雪」
再建の夢
その街がどんなに寂れても、そこには未来を生きる子供たちがいる。錆びて曲がったレールを新しく引き直し、新しい道を創りたいという想い湧いてくる。
初雪が降ってきた。冬である。冬ごもりの間に、春に向けての種を植えたい。春の来ない冬はない。何も咲かない冬の間は、下に下に根を伸ばして、春に備えたい。冬ごもりで、新しいアイデアを育てたい。
悪代官がこの20年間で、大垣市をすっかり寂れさせてしまった。それは大垣に長い歴史のなかで一過性のこと。何時かは悪代官も去り、春が来る。悪代官も、どうすれば大垣が寂れるかの悪例を示してくれた逆縁の佛である。長い人生、いい時も悪い時もある。すべては人生の吟行である。
大垣の某財界人も、この最後に残った2枚うちの一枚を買ったとか。多分経費で落としたのだろう。大垣を寂れさせた一味の一人として、どんな思いで買ったのか、興味深い。
絵は語る
一枚の絵から、自分の人生と故郷に思いを馳せさせるストーリが作れれば、それが自分の歩んできた世界である。ビジネスマンなら、数値からストーリを、賢人なら一つの言葉からストーリを、芸術家なら、一枚の絵からストーリを、語りたい。ストーリの無い人生は侘しい。
馬場恵峰書
2019-07-11 久志能幾研究所通信No.1252 小田泰仙
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