曼荼羅の佛様が 寄ってたかって 私を幸せにしてくれる
自分に厳しいことを言ってくれるのは、私を育てようとしてくれている佛様なのだ。辛口の批評は、自分の行動の何所がいけないのかを教えてくれる。試験の成績が悪いのは、今のやり方が間違っていると親切に教えてくれている。私を幸せにしようと思わない相手は、無視をする。愛の反対は憎悪でなく、無視なのである。病気とは、己の体の使い方に関する佛様の苦言なのだ。事故とは、周りに気を使わなかった佛様の諫言なのだ。
佛の慈悲
人が甘い言葉をいい、お世辞やおべんちゃらを言うのは、自分をKY(空気の読めない人)に育てるための罠である。厳しいことを経験しないと、実社会ではやっていけない。KYになっては出世など夢の話。せいぜい主任停まり。正規社員にもなれない。厳しい叱責で研鑽を積み自分の能力、精神力、人を見る目が養われる。佛の皆さんが私のために、能力向上のため、幸せになって欲しいと鍛えてくれている。どうしようもない人には誰も何も言わない。自分に向けられる厳しい言葉を、自分を鍛えるための愛の言葉と解釈をしよう。そう思うとき曼荼羅の佛様がよってたかって自分を幸せにしてくれる。
耳中常聞逆耳之言
耳には常に痛いことばかり。それが自分を鍛えることになる。甘い言葉で褒められるのは、遅延性の毒を盛られるようなもの。(洪自誠著『菜根譚』)
あなたを地獄に落とす贈賄側の人間は、甘言で誘いノーパンしゃぶしゃぶ接待に連れて行くのです。苦労をしていない高級官僚が簡単に堕ちる罠である。
ああ、私も誘われたい…..
『吾が人生の師天王』 P69 より
2019-04-09 久志能幾研究所 小田泰仙
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