命の限度
今回(2012年)の眼の病気で痛感したことは、命には限りがあるのは同然だが、自分の持つ各器官にも、個別の命の寿命がある事実である。全ての器官が均等に弱っていくわけではない。一番弱い器官に負荷がかかり、寿命を決める。今までもいろんな病気にかかったが、人生も還暦を過ぎると、病気を受け止める気持ちが若いときに比べれば深刻である。そのためには、両親から頂いた大事な命は、自分で管理して大事に使い恩返しをしなくてはならない、という使命感が湧いてきた。
病気というお手紙
医師は診断と治療はするが、病気を直してくれるわけではない。病気を直すのは患者自身である。「病気」と言う仏様からのメッセージをどう受け止め、どのように今後の生活姿勢を正すかは、自分の自己管理責任である。
その原因が生活習慣にあれば、それを正すのが、まず病院に行くのと併行して進めねばならぬ。人生を有意義に生きるためには、死んでもいいが、健康は自分がしっかり管理維持しなければならない。生死は神仏の管轄であるが、健康管理は自分の責任である。幸福はまず健康からである。
この楯は、東日本大震災で倒壊した神社の復興時に使った桧の端材で作成されている。
馬場恵峰書、2012年入手
『命の器で創る夢の道』P74
2019-03-26 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
コメント