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2018年11月 4日 (日)

破綻したコミュニケーション「エノラ・ゲイ号展」

 博物館とは人類の英知の集積媒体である。時には、思い上がった人々が人類が犯す愚行そのものを展示する。愚行も失敗例も人類の貴重な歴史の資産ではある。

 1997年夏、私がミシガン大学での夏季テクニカルライティングセミナーに参加したおり、スミソニアン国立航空宇宙博物館で開催されていた「エノラゲイ展」を見学する機会があった。それについての当時の私の報告書です。少し長いですが、分けると趣旨が曖昧になるので、そのまま掲載します。

   内容がシリアスで、A4判で12頁ですので、印刷してお読みください。せめてパソコンでお読みください。スマホでは読むのが辛いと思います。

4. エノラ・ゲイ号展 

破綻したコミュニケーション(1/4)

国立航空宇宙博物館/B29エノラ・ゲイ号の展示を見て 

博物館におけるコミュニケーションの分析        

 この航空宇宙博物館には年間1,000 万人が訪れる。他のスミソニアン博物館の集客力が落ちているのに、航空宇宙博物館は逆に訪問客が増えている人気博物館である。ここに終戦50周年(1994年)を記念してB29エノラ・ゲイ号を展示する計画がされた。これはスミソニアン博物館が10年来、スタッフ時間にして44,000時間をかけて準備をしてきた企画でもあった。しかし、この企画は、展示品がB29エノラ・ゲイ号でテーマが原爆であるためと、世界有数の集客力を誇る米国立博物館に展示するが故に、各方面の思惑が渦巻き、激しい論議を巻き起こした。

 

騒動の原因

 この騒動の原因は、この件を専門とする歴史学者がはっきりと2つの派 ( 大学に所属する歴史学者と軍所属の戦史官 )に分かれていて、その意見が全く相いれないことに起因する。この2派は軍事史をまったく異なる視点でとらえている。この2派は軍事史をまったく異なる視点でとらえている。大学の歴史学者は軍事史を社会面から見ようとするし、軍の戦史官は兵站、戦略、戦術以外のことに目を向けようとしている。この争いが顕著化したのが今回の騒動である。

 それはスミソニアン博物館と各種退役軍人団体との戦いであったが、実質的には、全職員280人と総勢600万人との戦いで、所詮多勢に無勢であった。なにせ敵は、豊富な資金と議会ロビー活動に力を持っている軍関係である。それに対して、スミソニアン博物館側はスミソニアン博物館憲法によりその広報活動が制限されている。結果として、スミソニアン博物館は敗北し、その展示内容を変更し、結果として、米国の国立博物館として、してはならない間違いを博物館の歴史に残した私は思う。

 

反面教師

 博物館が一つのテーマを展示する時には、著者が1冊の本、1つのレポートをデザインし、記述し、推敲し、そして読者が読み、考えると同じプロセスが存在する。そこには、展示する側の論理構成、意図、展示方法(順序、配列、照明)、内容により、見る側の受け取り方が決まる。終戦50周年(1994年)を記念して計画されたB29エノラ・ゲイ号の展示に関する騒動、実際の展示内容は、博物館としての設立理念、展示論理、米軍人会の論理、米政界の論理、新聞の論理、歴史の評価に要する時間等で博物館の展示テーマとして、近年最も考えさせられた事件であろう。それを今回、博物館のコミュニケーション手法とその騒動の現物を現地で自分の目で確認できた。博物館の反面教師としての実例を見聞できたのは貴重な体験であった。

 

4.1  展示されたB29エノラ・ゲイ号 

 入場して最初に驚かされるのは、入口の壁一杯に博物館館長の「反省・お詫び」の文面が掲げていることである。これがこの企画展の経緯と結末の異常さを象徴している。そして、自身の印象に焼きつくのは、真っ暗な背景(意識した背景デザインだ)の展示スペースの中で、ライトアップされ銀色に光り輝くB29エノラ・ゲイの巨大な胴体前頭部・垂直尾翼である。その威容は「偉業」を果たした米国テクノロージーを誇示するかのようであった。この機体の歴史的背景と今回の騒動を知らなければ、単なる美しいテクノロジーの展示物としてしか目に写らないであろう。

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図  入り口のメッセージ (後に詳細記述)

 

テクノロジーだけを謳歌

 この展示は基本的にB29の技術的な展示に終始している。ここにあるのは特定された技術データだけである。B29の開発目的、開発内容,技術マニュアル,機体はこれ、プロペラとその翼の大きさは壁の図でこれ、原爆「リトルボーイ」と弾倉はこれ、そして広島に投下しました。その新聞記事はこれ。戦争は終わりました。戦士は家族や恋人の許に帰りました。わずかに最後のコーナで、16分間のビデオがエノラ・ゲイ号の歴史、その任務、B29 搭乗者のコメント、被災地の映像が数10秒流される。ここで「博物館の物語」は終わりである。見学中と展示コーナを出た後に残る印象は、ただただ、回りを圧する銀色に輝く巨大な胴体とそのテクノロジーの誇示が、思考を圧倒する。

3b29 図   B29の前胴体  

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B29のプロペラとその大きさ

5b29 図   B29の垂直尾翼 

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原爆 リトルボーイ

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図   B29の技術マニュアル 

 

結論は観客任せの無責任さ

 B29の技術展示が続く内容はあたかも、ミシガン大学のテクニカルライティングセミナーで悪例のレポートとして提示された「アンナーバの冬の温度は1度です。春は18度です。夏は32度です。秋は15度です。さようなら」と同じ論理展開であり「で、何なんだ?(So what ?),何を言いたいんだ? 何が結論なのだ?」と問わざるを得ない。

 しかし、スミソニアン協会長官ヘイマンは、原爆展中止発表の記者会見で、そのテクノロジーがもたらした結果は「観客に考えてもらう。」と言って口を濁した。それはハーウィク元館長が示した明確なる博物館展示ポリシー(この章の最後に示す)と対極をなすものであった。

 

展示の冷たさを味わう

 出口付近に展示されているは、原爆投下を報じる当時の新聞記事とビデオである。この展示の最後のコーナに設置されたビデオ放映は、その誕生の歴史と原爆投下、搭乗員の談話、及び数10秒間の地上の惨状の描写、機体の復元作業等と単なるドキュメンター風に終始している。

 また、この16分間のビデオ放映も閉館時間10分前に、放映途中にもかかわらず、事前予告もなしで一方的に放映終了にされてしまった。内容がデリケートなだけに、この展示に対するスミソニアン博物館側の事務的なひんやりとした冷たさを感じた。

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 図   原爆投下を報じる新聞 

    

エノラ・ゲイ展の入口メッセージ

破綻したコミュニケーション(2/4)

エノラ・ゲイ

 この展示は、第2次世界大戦の終焉と核攻撃任務 (ヒロシマを破壊し、続いて1945年8月14日、日本のナガサキの虐殺を導いた)のB29エノラ・ゲイの任務を記念する。

 

 国立航空宇宙博物館は当初もっと大規模な展示を計画しました。それは原子爆弾によって引き起こされた荒廃状態と、トルーマン大統領の投下決定の歴史的環境の様々な異なった解釈に焦点を当てることでした。その計画された展示は、戦時経験者や他から強烈な批判を巻き起こしました。彼らは、この展示が米国を攻撃者に、日本人を犠牲者として描写し、アメリカ戦争体験者の武勇と勇気を不利に映していると主張しまた。博物館はその計画を実質的に変更しましたが、その批判は我々の展示計画をもっとシンプルにするように強いました。その声明で、私は下記のように述べました。:

 

 私は、原子爆弾の歴史的扱いと第2次世界大戦終結50周年と一緒にする「あやまち」を犯したと結論づけるにいたった。展示には種々の目的があり、同じ量の価値観がある。しかし、我々は多くのどの結論が卓越しているかを知ることを必要としたのであって、それらを混同することではなかった.....

   ....この新展示はもっとシンプルにすべきであり、搭乗員とエノラ・ゲイ自身に語らせること限定すべきだと。この展示の焦点はエノラ・ゲイであるべきである。放映ビデオもこの航空機にそって搭乗員に関することであるべきである。この記念される年に、戦争体験者と他のアメリカ人が復元されたエノラ・ゲイの胴体を見る機会を持つことが特に重要なのだ。

 

 今、貴方が入場するこの展示に、私は少々の変更を加えました。我々はスミソニアンによるエノラ・ゲイの修復に、B29機体と第509郡団に幾つかの素材と説明的な資料を追加しました。それは、この展示に対する反応を問う最後の部分を担当する Col. Paul Tibbetsにより指導されました。貴方のコメントを歓迎します。

            I. Michael Heyman

    Secretary  Smithsonian Institution

(著者訳)

 

原文

ENOLA GAY

   This display commemorrates the end of Warld WarⅡ and the role of the b-29 Enola Gay in the atomic mission that destroyed Hirosima and, along with  the atomic bombing of Nagasaki, led to the surrender of Japan on August 14,1945.

 

 The National Air and Space museum originally planned a mucu lager exhibiton, which concentrated attention on the devastation caused by the attomic bombs and on differing interpretations of the history surrounding President Truman's decision to drop them. That planned exhibiton provoked intense criticism  from World War・ veterans and others, who stated that it portrayed the United States as the aggressor and the Japanese as victims and reflected unfavorably on the valor and courage of American veterans. The Museum changed its plan substantially, but the criticism persisted and led me my decision to  replace that exhibition with a simple one. In a state-ment I issued at that time I said the following:

 

  I have concluded that we made a basic error in  attempting to couple a historical treatment of the  use of the atomic weapons with the 50th anniversary   commemoration of the end of the war. Exhibiotions have many purposes, equally worthwhile. But we need to know which of mamy goals is paramount, and  not to confuse them....

    ....the new exhibition should be a much simpler one, essentially a display, permitting the Enola Gay and its crew to speak for themselves. The focal point  of the display would be the Enola Gay. Along with the plane would be a video about its crew. It is paticu-larly important in this commemorative year that vet- erans and other Americans have the opportunity to see the restored portion of the fuselage of the Enola Gay.

 

 The exhibiton you are entering does what I intended, with a few changes. We have added material on the Smithsonian's rstoration fo the EnoLa Gay and some explanatory materials on the B-29 aircraft and the 509th Composite Group, which was led by then Col. Paul Tibbets, who also have a section at the  end where we ask for your reactions to the exhibition. We welcome your comments.

                         I. Michael Heyman

                         Secretary  Smithsonian Institution

 

入口メッセージを英文スペルチェック 

 私は、この文書をワープロ入力し、たまたま英文スペルチェックにかけたら、下記のメッセージが氾濫したのには驚いた。

                 

表示メッセージ

 ・長すぎる文章は理解を妨げます。

 ・冗長な表現です。   at the timie →  then

 ・前置詞をいくつも続けて並べると誤解を招きます。

 ・but で文章を始めない方がよい。文が接続詞で始まる場合、どの要素が関連しているか必ずしも明確ではありません。

   ・この文には主節がありません。

 ・文が長すぎます。

読みやすさの評価

 英文スペルチェックの文書統計情報としての読みやすさの評価

  「難しい文章です」

   ○○○●●●○○○○○○○○○○○○○○○

   専門的          標準的         簡潔

 

英文スペルチェックが示す心の動揺

 ハーウィック元館長が博物館の展示哲学で述べているように、博物館のパネルは百科事典の説明のように万人が読んで、間違いなく理解してもらえる教科書のような文章でなければならない。しかし、この上記評価には驚きと興味深さを感じた。この文体は、言うなればしどろもどろで言い訳をしている文体である。普通、展示パネルの原稿は十分なチェックがされるものだが、この文面を書いた人がスミソニアン協会のトップだったので、チェックする人がいなかった? 長官はハーウック館長の首を切った後で、精神的余裕がなかったのか? いかにスミソニアン側が追い詰められた状況かを露呈している点で、注目に値する。そんなレベルの文書を、世界有数の入場者数を誇る国立博物館の企画展コーナ入り口に掲げてあるのだから、恥さらしとしても価値がある....

 やましい心があると文章は正直にその態を表すものだ。私はこの文章を翻訳した時、非常に訳しにくいなと感じたが、それは自分の英語力が足りないと思ったのだが、後で英文スペルチェックの結果をみて、原文が悪い事が分かり、安堵した。

 

 

4.2  展示をめぐる論争 

 破綻したコミュニケーション(3/4)

4.2.1 スミソニアン協会憲法 

 1800年代に英国人スミソニアンの寄付によって設立されたスミソニアン協会の憲法は、下記に規定されている。

  「スミソニアン協会」の名のもとに、人々の間に知識を増進し普及するための施設をワシントンに設立すること。

 わが国の航空および宇宙非行の発展を永く記憶にとどめ、歴史的に興味深く意味のある航空および宇宙飛行機器を・・・・ 展示し、・・・・ 航空および宇宙飛行の歴史を研究するための教育的資料を提供する。」 

 

 航空宇宙博物館に飾られる航空機はより速く、より高くの記録を達成し、それを後世に上記の憲法に則った形で残すため展示される。しかし、核時代の幕を開けたB29の展示は、ただそれだけですまれさないはずで、ハーウック館長は学術的に、歴史的にどう有るかを検証し分析して展示すべきだと考えた。

  中心テーマ:  核兵器はふただび使用されてはならない。 

 歴史の事実に意見や評論を加えるのでなく、基本的な歴史の検証と「分析」をし、核兵器がもたらした問題を単に提示するだけを意図した台本が作成された。具体的には、エノラ・ゲイの任務はどんなことだったのかとか、トルーマン大統領や顧問たちが原爆を行使するという決定をいかにして下したかとか、また原爆が第二次世界大戦後の世界に対してどのような意味をもっていたのか、といった事実をただ単に詳しく説明することだけであった。しかし、そのシナオリも各団体の干渉のため原案から始まって第5稿まで変更を強いられた。そのため、テーマ名も下記の変遷を経ることになった。

 

下記は ハーウック館長が当初考えたストーリー 

原案 「ゲルニカから広島まで 第2次世界大戦の爆撃」

  第1稿 「50年を経て」

      第2稿 「グランド・ゼロ 原子爆弾と第2次世界大戦の終結」

  第3稿 「50年を経て」

  第4稿 「岐路」

      第5稿 「最終幕 原子爆弾と第2次世界大戦の終結」

 

幻の展示ストーリー 

 幻になった台本の内容は下記。展示は5つのセクションに分かれる。

 

第1部「終結に向けての戦い」

    戦争に先立つ出来事      1930年代の日本の露骨なアジア侵略

    真珠湾攻撃、太平洋戦初期の戦況

    有人特攻爆弾「桜花」(実物展示)

    両軍の莫大な死傷者数

    戦略爆撃にエスカレートした経緯が解説される

第2部「原爆投下の決定」

    原爆開発の過程、トルーマン大統領が原爆使用の決定を

    するに考慮した要素を機密文書で展示

    これにはアインシュタイ博士の手紙(原爆開発の提言)

    トルーマン大統領の日記等も含まれる。

    長崎で使用された「ファットマン」型プルトニウム爆弾

           (初期の原爆の途方もない大きさと重さが示される)

第3部「原爆投下」

    B29エノラ・ゲイ号の前部胴体

            爆弾倉の開いた扉の下に配置された原爆「リトルボーイ」

    B29の開発・製造の経過

    原爆投下作戦を担当した第509 軍団の訓練、

    およびその元隊員の記念品と写真がヒューマンタッチ(?)で展示

第4部「グランド・ゼロ

      1945年8月6日午前8時15分広島、

      1945年8月9日午前11時02分長崎」

     広島、長崎の地上の光景、

     被爆資料、生々しい体験を語る被害者のビデオ

第5部「広島と長崎の遺産」

    現在の人類が直面する戦後の核拡散の問題についての展示

 

 結果として、第3部「原爆投下」のセクションだけが展示されたことになる。「本」の一部を抜き出して見せられても、「その結論は何?」と疑問が起こるのが自然だ。不自然な論理構成である。

 

4.2.3 議会の声 

 結果として館長の首を飛ばした「愛国的」下院議員達が望んだのは、「エノラ・ゲイが第2次世界大戦の最も有名な航空機として (原子爆弾の運搬と投下を初めて可能にしたテクノロジーの成果として )単純に展示されること。」(現実には、きわめてこれに近い形の展示形態となった。)

 

4.2.4 米国在郷軍人会の意見の要旨は、 

 「原爆投下はまことに遺憾ではあったが、原爆によって救われた日本人とアメリカ人の何百万人という命の代償(広島・長崎での犠牲者)としては小さな対価だった。戦争を終わらせたエノラ・ゲイ号は,その功績により誇りをもって展示され、国をあげて退役軍人とその家族らの勇気と犠牲を称え、感謝と喝采をこめて、彼らに英雄気分を味あわせるべきだ。人命を救い、善なる目的のために行われた原爆使用は、何ら非難される筋合いではない。それは20世紀において道義的に最も疑念を挟む余地のない出来事の一つである。かつまた人道的行為でもあった。それを原爆の被災地の写真と同時に展示して我々を悪者扱いするとは何ごとだ!」

 

 「アメリカこそ現代の神によって選ばれた民(ハーマン・メルビン)。」との意識が米国にはあるようだ。なにせ、米国在郷軍人会は「分析」など望んではいなかった。戦後50年間語られてきた「正義の」ストーリーに疑問を投げかける「分析」などとんでもないことなのだ。

 ハーウック元館長も、「それは20世紀において道義的に最も疑念を挟む余地のない出来事の一つである」の発言には呆れた感情を記述している。それはハーウィンク元館長でなくても一般的な感情だと思うのだが。

 この意見の背景には、50年経ても日米国民の意識に微妙な違いがあることに起因する。ニューヨークタイムズ紙、CBSニューズ、TBS放送の世論調査では下表のようになっている。

 

日米の原爆に対する世論調査 

                       米国 %  日本 %

・日本人は真珠湾攻撃について謝罪すべきか(YES) 40   55

・米国は原爆投下を謝罪すべきか     (YES) 16         73

・原爆は戦争を終わらせた正当な手段か (YES)     63       29

・原爆は不当な大量殺戮行為あった  (YES)    29         63

       

 4.2.5 政府の反応 

 クリントン大統領はベトナム戦争で徴兵忌避した経歴を持ち、軍部に後ろめたさがあるためか、在米軍人会への対応が及び腰であった。それが今回の結末の遠因となっている。

 

4.2.6 原爆展中止決定 

 そして、軍部と議会(スミソニアン協会の予算80%を議会が握っている)の圧力に屈したスミソニアン協会ヘイマン長官は、エノラ・ゲイ原爆展中止を発表し、「原子爆弾の使用を歴史的に取り上げること、戦争終結50周年を記念すること。この2つを結び付けるのが間違いだった。展示にはさまざまな目的があり、どれが主とするかに混同はあってはならない。しかし、我々は、このことを「分析」をするとの間違いを犯した。我々は「分析」が引き起こす強い感情に対して配慮が十分ではなかった。」(分析こそ博物館とその学芸員の使命なのだが。米国で、この件の分析はタブーである)と声明をだし、ハーウィク館長に辞職勧告をした。館長は就任時の契約で、辞任後も上級研究員としてスミソニアン協会に残れる権利があったが、スミソニアンを後にした。

 

4.2.7 メディアの反応 

 あのニクソン大統領を辞任に追い込んだワシントンポスト紙が、この展示会に対する批判の急先鋒であったのは意外であった。所詮、この種の論説は論説委員個人の意見が色濃く反映されるのであろうか。進歩的な新聞もことナショナリズムに関係すると、急に保守的な本質をあらわにするようだ。もちろん、この論争は各紙賛否両論ではあり、それが米国の良心であろう。概して無節操な記事が氾濫した。ただ問題がデリケートなため、本来署名記事が当たり前の米新聞論説で、無署名の記事が目立ったのは、この事件の難しさを象徴している。

 それでも、戯画でこれを風刺したのが多数あったのは米国の良心か?

     図   エノラ・ゲイ展示を風刺した戯画(略) 

     図   エノラ・ゲイ展示を風刺した戯画(略) 

 

 原爆投下はまだ当時の関係者が生々しく、その関与に各方面から口だされる状態では、正当な歴史評価ができないようだ。この評価は100年たたないと無理のようだ。本来歴史の冷静な評価は、関係者が世を去り、事実を冷静にかつ俯瞰的に眺めれる状態でされるべきなのだろう。

 ただし、何年たってもアメリカが「アメリカが世界ナンバーワン」との傲慢さを無くさないとこの種のトラブルは無くならないと思う。歴史の検証とは冷静な第三者の目で事実を見て分析することなのだから。今回の騒動は、軍人会が単に「分析」を拒否しただけ。

 逆説的にいうと世界からの批判に対して頑に耳をふさぎ、「正義のストーリー」として自己主張をするのは、どうして触れて貰いたくない米国の歴史の恥部だからなのだ。もし、それが正しく(?)後ろめたいことのない選択であったら、このような論争も米軍、議会からの圧力もなかったであろう。1940年8月の原爆投下の前で、6時間も日本の各都市上空をB29が気象観測の任務で飛行しても、迎撃機はおろか対空射撃もできない実質的に敗北していた日本に対して、行った行為が正当化はされまい。

 故意にその被害を検証するため(としか考えられない)広島も長崎も戦略爆撃から除外されていたこと、また各都市にウラン型、プルトニウム型と比較をはっきりさせるためわざわざ違ったタイプの原爆が用いられたこと、米エネルギー省の出版物中では、広島と長崎への原爆投下が「爆発実験」の項に分類されていること等から推察すると、公式的には何が何でも戦争を終結させた業績として歴史に残さねばならないと、米国のその筋は考えているようだ。それは「戦争の終結」であって、「恐怖の核時代の幕開け」ではけっしてないと。

 前者の主張が米軍人界の主張であり、後者がスミソニアン博物館が考えたB29の位置づけであった。

 この展示を巡る論争、圧力、脅迫の経過と、それの結果を展示として見学し、書物でその舞台裏を読むとき、米国のジレンマの葛藤、建前、良識との戦いとして実に興味深い。かつ一つの恥さらしな歴史的騒動としても。「圧力者」たちは、博物館はドラマを博物館に求めてはならないと言ったが、歴史の皮肉はその本人たちが歴史に残る汚点としてのドラマを残したことではないか。

 この唯一の救いは、ハーウィック元館長が生き長らえ(米国では暗殺の可能性も)、今回の経過を詳細な記録を著書に残してくれた事でしょう。それによって米国の国民性、軍部の本質、アメリカ社会等の本質の一端を明らかにしてくれた事。人でもそうだが、異常な状態の時にその国・人の本質が顔を表すもの。

 

4.3  博物館の展示ストーリー 

 第4章 破綻されたコミュニケーション(4/4)

 マーティン・ハーウック著『拒絶された原爆展』を読んで感銘を受けたのが、氏が語る博物館としての使命、展示の思想であった。いままで多くの博物館の展示を見てきたが、漠然と感じていたその展示思想を、マーティン・ハーウック元館長は明快に定義付けてくれた文(下記)で示してくれた。それと今回の騒動の経緯、実際の展示を見るとき納得される。

 この結論は、たとえ100万ドルの費用をかけた展示でも、明確なクライテリア欠如次第ではゴミ同然の展示に成り下がることである。これはミシガン大学テクニカルライティングの講義のエッセイスと同じである。また、これは我々が開催する展示会等でのストーリー作りにも、応用できるし、かつ留意しなければならない事項でもある。

 

博物館はストーリーを語る 

 博物館における展示とは、気まぐれに選んだ展示資料を寄せ集め、それぞれに名前のラベルを貼っただてのものではない。何を展示し、何を展示しないかの選択が、展示企画の方向を決める出発点になる。展示資料を並べる順序や配列によって、それらを見る角度が決まる。照明のレヴェルの選択でムードが決定される。

 展示を紹介したり展示資料を解説したりするための言葉やビデオもまた、その協調の仕方によって来訪者に影響を与える。意図されたものであれ無意識にされたものであれ、こうした選択の一つ一つが、来訪者の受け取り方に、彼らが展示から持ち帰るストーリーに、さらには彼らが友人に展示のことを話す時の話し方に作用を及ぼすのだ。

 博物館はストーリーを語らないわけにはいかない。学芸員と展示デザイナーはストーリーの語り手である。ストーリーといってもいろいろあるが、なかでも歴史こそは博物館が語るタイプのストーリーである。歴史とは、実際に起こった出来事についてのストーリーであり、博物館にはそうした歴史的な出来事を正確に、事実に則して描く責任がある。

 博物館が歴史を語るにあたって、学問的な正しさを忘れないのは当然だが、同時に考慮してければならないのは来訪者のことである。すなわち、博物館を訪れる人々は展示のテーマについてどれだけのことを知っているのか? 大人にも子供にも展示を楽しんでもらうようにするには、語彙のレヴェルをどこに定めるのか? どの程度まで説明するのか? 一般に来訪者は展示に対して先入観を持っているのが普通だが、それを質す必要はあるか? デリケートなテーマ、あるいは論争を引き起こすようなテーマについては、すべてを提示するべきか? その場合、博物館はそれをどのように持ち出すか?

 

 展示では「正確さ」、「バランス」、「受け取られ方」の3つの問題の検討が不可欠である。(というのは、)展示という伝達・発表の形態は他の系統は異なる特質を持っているからである。

 「正確さ」とは、事実についての情報に関わるものである。博物館は情報源として信頼に足るだけの正確さが求められており、この点で最高の教科書や百科事典と同程度の水準が保たれている。

 「バランス」とは、展示に盛り込むべき事実と展示物の選択に関わるものである。複雑なテーマをバランスよく展示するうえで、選択はきわめて重要である。これはまた極度に困難になる場合もある。エノラ・ゲイ展をめぐって争いが起こった大きな原因の一つは、この飛行機をまったく異なる目で見る二派が存在したことである。

 「受け取られ方」とは、正確さやバランスとは対照的に、学芸員が展示にはめ込むのではなく、むしろ来訪者たちが持って帰るものである。展示のバランスをとることが難しい場合には、・・(中略)・・博物館スタッフはできるだけ多くの代表的フォーカス・グループを見つけ出して、その反応を探り、来訪者の受け取ること (  すなわち展示を見て来訪者が「学ぶ」こと ) と、「教える」ようと意図されていることとを一致させるようにしなけばならない。

 

総括

 この『拒絶された原爆展』はアメリカの国民性や思考方法、原爆の投下の真相がかなり肉薄して語られている。それと合わせてスミソニアンで実際に展示されているB29エノラ・ゲイ号を見る時、展示の表舞台には現れない様々なメッセージ、人・組織の葛藤(軍関係の干渉・脅迫はある種のスリラーサスペンスとして)を感じることが出来る。また、アインシュタイン博士が米大統領に原爆開発の進言をしている手紙、「たとえ敵でも非戦闘員の女子供を巻き添えにする殺戮はどうしてもできない」と記述があるトルーマン大統領の日記等、歴史の物語としても感慨にふけさせてくれる。

 

 各種の資料は、マーティン・ハーウック著『拒絶された原爆展』(みすず書房 1997年)による。

初稿 1997年12月1日

2018-11-01   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

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