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2018年11月 1日 (木)

磨墨知50-2.  人生は能舞台

 人生では、人が仮面を被って人生劇場の役者を演じている。ある人は教師を、ある人は警察官の仮面を被って演じている。その仮面をペルソナという。ペルソナとはラテン語で仮面と言う意味である。この語源でパーソナリティと言う言葉が生まれた。個性とは、人が被る仮面のキャラクターである。人はその仮面を見て、その人の役割を期待する。その仮面を被ったら、その役割を演じなければならぬ。

 

日本の現代劇

その役割りに反する演技をすれば、人の期待を裏切る「裏切り者」である。現代は、聖職者、政治家、警察等で、その期待を裏切る事件が多すぎる。社会が仮面に相応した演技であらねば、日本の時代劇場のタイムスケジュールが正しく進まない。日本社会の時間を無駄にしてはならぬ。

 

人生の織物

 舞台とは、幕が上がっている間だけが舞台ではない。幕が上がるまでの血みどろな練習時間、舞台の段を上がる時の挙動、舞台を下りるときの挙動も全て人生劇場の演技時間である。観客に見せる舞台での演技は一コマに過ぎない。一刻たりとも気を抜けない。観客は見ていなくても、神様仏様そして内なる己という仏が見つめている。己はどんな振る舞いで、舞い、そして舞台を降りるのか。それは去り際の美学でありたい。

 一局を舞い舞台を下りて初めて「人生織物」での横糸の一本が完成する。人生とはその連綿とした行動の積み重ねである。観客が見ている時だけが、舞台ではない。日々の時間を大事にして、人生の織物を織ろう。

                  

2018-11-01   久志能幾研究所 小田泰仙

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