「エノラ・ゲイ展」に人生ストーリーを見る
(磨墨知50-1.)
自分の人生舞台のテーマは何か、目的は何か、何を観客に見せるのか、何を観客に持って帰えさせるのか、何を残して逝くのか。その人生台本のストーリー作りが問わる。己の生き様(演技)は、己のクライテリアによって決まる。台本の基本を構成する要である。舞台の演者は己である。舞台に上がり、舞って、舞台から下りるまでの一挙一動がすべて演技である。
展示会のストーリー
この舞台は、たとえ100万ドルの費用をかけようと、また10年の歳月を展示準備にかけようが、明確なクライテリアが欠如してはゴミ同然に成り下がる。どれだけ恵まれた環境でも、人生哲学のない人生はゴミである。これは企業が開催する展示会等でのストーリー作りにも、言える。だからお話でも、発表をするにも、展示するにも、そして自分の人生を演じるにも、“So What? (で、何なんだ?)” と言われない論理構成が必要である。
本項はスミソニアン航空宇宙博物館「エノラ・ゲイ展(1997年)」を見ての学びである。
博物館はストーリーを語る
博物館における展示とは、気まぐれに選んだ展示資料を寄せ集め、それぞれに名前のラベルを貼っただけのものではない。何を展示し、何を展示しないかの選択が、展示企画の方向を決める出発点になる。展示資料を並べる順序や配列によって、それらを見る角度が決まる。照明レべルの選択でムードが決定される。
(中略)
博物館はストーリーを語らないわけにはいかない。学芸員と展示デザイナーはストーリーの語り手である。ストーリーといってもいろいろあるが、なかでも歴史こそは博物館が語るタイプのストーリーである。歴史とは、実際に起こった出来事についてのストーリーであり、博物館にはそうした歴史的な出来事を正確に、事実に則して描く責任がある。(中略)(p171)
展示では「正確さ」、「バランス」、「受け取られ方」の3つの問題の検討が不可欠である。というのは、展示という伝達・発表の形態は他の系統は異なる特質を持っているからである。
「正確さ」とは、事実についての情報に関わるものである。博物館は情報源として信頼に足るだけの正確さが求められており、この点で最高の教科書や百科事典と同程度の水準が保たれている。
「バランス」とは、展示に盛り込むべき事実と展示物の選択に関わるものである。複雑なテーマをバランスよく展示するうえで、選択はきわめて重要である。
これはまた極度に困難になる場合もある。エノラ・ゲイ展をめぐって争いが起こった大きな原因の一つは、この飛行機をまったく異なる目で見る二派が存在したことである。
「受け取られ方」とは、正確さやバランスとは対照的に、学芸員が展示にはめ込むのではなく、むしろ来訪者たちが持って帰るものである。(中略)博物館スタッフはできるだけ多くの代表的フォーカス・グループを見つけ出して、その反応を探り、来訪者の受け取ること(中略)と、「教える」ようと意図されていることとを一致させるようにしなければならない。(マーティン・ハーウック著『拒絶された原爆展』みすず書房 1997年)
B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の展示に関する騒動
1995年、国立スミソニアン航空宇宙博物館は、広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」を中心とする米国初の原爆展を企画した。しかし、この企画は米国内に激しい論議を引き起こし、米国議会や在郷軍人会などの圧力で開幕直前の1995年1月、原爆展は中止に追い込まれた。当時アメリカでは、連日のようにメディアで報道がくり返され、日本でもテレビや新聞で大きく取り上げられた。この渦中にあって、原爆展を企画し、長年にわたり準備をすすめてきたスミソニアン航空宇宙博物館館長マーティン・ハーウィットは、その年の5月に同館を辞任した。後日、それまでの経過を詳述した『拒絶された原爆展』を出版した。
その後、大幅に内容を「偏向」した装いで「エノラ・ゲイ」展が1997年に開催された。たまたま私はミシガン大学テクニカルライティングセミナーに参加のため渡米していため、同展示会を見学できて多くの学びを得た。
このマーティン・ハーウック著『拒絶された原爆展』はアメリカの国民性や思考方法、原爆の投下の真相がかなり肉薄して語られている。それと合わせてスミソニアンで実際に展示されているB29エノラ・ゲイ号を見る時、展示の表舞台には現れない様々なメッセージ、人・組織の葛藤(軍関係の干渉・脅迫はある種のスリラーサスペンスとして)を感じることが出来る。
エノラ・ゲイ展 入り口のお詫び文 冒頭のお詫び文の掲示は異常
1997年8月12日 スミソニアン航空宇宙博物館
スミソニアン航空宇宙博物館のリトルボーイ(広島投下の原爆)
FAT MAN (長崎投下の原爆) エノラゲイ展で 1997年 撮影 小田
磨墨知50-1b. 大垣市で広島原爆の影を見る
私は毎朝の散歩の帰路に、被爆地の慰霊碑にお参りする。毎朝、ここに来ると日本の歴史と現代の状況を感じざるを得ず、心が引き締まる。犠牲の方のご冥福を祈り「二度と日本がこんな目に遇わせられないように、我が国力を上げるべく貧者の一灯として精進します」と祈っている。
この被爆の慰霊碑は、大垣市水門川沿いの敬教堂跡に建つ孔子像の南側にひっそりと建てられている。昭和20年7月24日、米軍が広島に原爆を落とす前、原爆投下訓練のため、大垣市の県農業会大安支所に模擬原子爆弾を投下した。建屋は一瞬に吹っ飛び、職員は肉飛び骨散して10名が悲惨な最期を遂げた。その慰霊碑の真横に、母校発祥地の碑が建っている。因縁である。
模擬原子爆弾は、広島と長崎への原爆投下訓練のため、米軍が作った重量4.5トンの爆弾で、長崎に投下されたプルトニウム原爆と同形で“パンプキン爆弾”と呼ばれた。昭和20年7月20日~8月14日の間、全国各地に約50発が投下され400人以上が犠牲になった。平成3年、愛知県の市民グループが、国立国会図書館で機密解除された米軍資料からこの事実を発見した。
原爆の後ろめたさ
原爆は、日本人が白人なら絶対に落とされなかった。白人の人種差別である。国際法上でも原爆投下はジェノサイド(皆殺し)であり、その後ろめたさ故、米国の戦後の支援がある。ジェノサイドを認めたくないがため、米国内では下手にこの問題を掘り起こすと旧軍人会からヒステリーじみた感情で袋叩きにされる。1997年、エノラ・ゲイ展を企画したスミソニアン博物館長は、辞任に追い込まれた。その経緯を米国スミソニアン博物館で目の当たりにした(1997年夏)。そのジェノサイドに駆り立てたのは、巨額の政府予算に目が眩んだ拝金主義である。
磨墨知50-1c. ストーリーを知らず、悪魔に魂を売る
原爆開発や原子力事業が、儲かるか商売であることは、福島第一原発事故の報道で明らかになった。原爆開発には日本の国家予算の3倍の金が使われた。その金は何所につぎ込まれたのか? 誰が潤ったのか?
原爆の開発に動員された科学者たちは、全体のストーリーは知らされず、競争馬の横方向の目隠しをされたように他の情報は知らされず、担当の分野だけの開発を強いられた。科学者は部分最適に全力を尽くした。科学者は、己が何を開発しているかを知らされていなかったのだ。全体像を知っていたのは、プロジェクトの責任者だけであった。トルーマン大統領さえも広島への原爆投下後に、事後報告をされた。暴走を始めた組織は誰も止められなかった。
本来、戦争を早期に終了するために開発されていた原爆は、日本の敗戦が確実になっても、原爆の開発自体が目的になり、組織が暴走を始めた。
原爆開発の実態
原爆の効果を検証するため、戦略爆撃から除外されていた広島と長崎の各都市に、米軍は二種類の原爆を投下した。ウラン型とプルトニウム型の原爆を比較するためである。米エネルギー省の出版物中では、広島と長崎への原爆投下は「爆発実験」の項に分類されている。
この原爆開発の真の目的は、金儲けである。今のグロ-バル主義(拝金主義)を生んだ鬼子の親でもある。モルガン、デュポン、GEがこの原爆開発を担当して、ウラン型原爆は先に完成していた。プルトニウム型原爆の完成を待って、2つの原爆を爆発実験として投下した。万全を期すため、訓練として模擬原子爆弾を50発も投下した。戦争を早期に終結する目的なら、プルトニウム型原爆の完成を待つ必要もなく、2種類もの原爆の爆発実験をする必要もなく、50発の投下訓練も不要である。当時、日本は戦争続行には資源が枯渇して、遅くとも昭和20年11月には降伏することが明白であり、それは日米両政府の周知の事実であった。原爆投下に反対であったルーズベルト大統領は、巨悪の都合に合わせるが如く、直前に愛人宅で怪死した。その死の状況はあまりに不自然である。そして後任の操り人形であるトルーマン大統領が、「形の上では」原爆投下のgoを出した。後年の検証では、トルーマン大統領が明確に原爆投下を命令した記録がない。
神をも恐れぬ人類の驕り
スミソニアン航空宇宙博物館にあるFAT MANの説明パネルは、素っ気無い表現だ。「“My God,it worked. この開発が政府、大学、科学者、民間企業の総合力で遂行され、この開発のために膨大な計算がされ、その必要からコンピュータが開発された。そしてこの原爆はメキシコで実験され、長崎に投下され7万人の犠牲者を出した。第2次世界大戦はこの原爆とコンピュータの2つのブレークスルーを生み出した」
コンピュータの開発主目的は、原爆開発のためであった。コンピュータとは、砲弾の弾道計算ための道具ではなく、悪魔を生むための血糊がついた武器である。悪魔のストーリーでは地球40億年の時間がなくなってしまう。
身の回りの悪魔のストーリーに巻き込まれないように、現実を直視しよう。便利とか儲かる話に目を奪われると、怖ろしい悪魔のストーリーに巻き込まれる恐れがある。
2018-11-02 久志能幾研究所 小田泰仙
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