「生老病死」で人生賛歌
「生老病死」は四苦といわれるが、見方を変えればそれは人生の喜びである。それを四苦と見ると、生命の存在を侮辱することになる。生あるものは、必ず死がある。死を考えるより、生まれたことを喜ぼう。
生とは、何ものに代えがたい喜びである。筑波大学の村上名誉教授の説では、人間として生まれる確率は、1億円の宝くじが1億回連続で当たると同じくらいの幸運である。己が牛、豚に生まれなかったことを喜ぼう。
老とは、大成する意味で、人間としての到達点である。大老、長老、と大事な名前である。それは精神の熟成である。最近は、年をとっても精神が痴態化する人が増えた。それは老成とは言わない。退化である。老になれば、尻の赤い若造ではないのだ。
病とは、命を長らえさせる役目があるから、長生きできる。病を得ても、直ぐ死ぬわけではない。病は神仏からの警告である。そのままの生活態度なら、死は早いよと、優しく教えてくれている。その悪い生活習慣を直せばよいのだ。そんな親切な声に喜ぶべきだ。
病とは、人生道を制限速度以上で突っ走ってきて、神様からスピード違反の切符を切られただけである。師も見込みのない弟子には、何も言わない。言っても無駄だから。言ってももらえただけ幸せである。少し人生の疾走速度を落とせばよいだけだ。自分の体が悲鳴を上げているのに、それを無視するなど鬼である。そのまま走れば突然死である。突然死は、何物にも代えがたい悲劇である。病とは、人生道スピード違反の取り締まりレーダなのだ。それを無視すれば御用で、あの世生きである。
手塚治虫さんの死
手塚治虫さんはスキルス性胃癌におかされた。当時の習慣として本人には病名は告げられなかった。100歳まで描き続けたいと言っていた手塚さんは、病院のベッドでも医者や妻の制止を振り切り漫画の連載を続けていた。最後は昏睡状態に陥るが意識が回復すると「鉛筆をくれ」と言って、死に際の状態でも「頼むから仕事をさせてくれ」と仕事への執着心を無くさなかった。それが手塚さんの最後の言葉であったという。
人生の「水木サンルール」
天才と呼ばれた手塚治虫さんは、仕事に超多忙で、いわば暴走して60歳で亡くなられた。命を削って仕事をされたのだ。まるで突然死である。例えれば神様から超高性能ベンツを与えられて、命の意味を勘違いして飛ばし過ぎたのだ。
水木しげるさんは、途中でそれの誤りに気が付いて暴走スピードを抑えて、仕事量を減らし、人生の「水木サンルール(幸福の7か条)」を取り戻し93歳の人生を全うされた。長生きしたから、紫綬褒章、文化勲章を授与された。水木しげるさんは血のにじむ努力をされた方で、手塚さんのような天才ではないと思う。その生き方には、妖怪の導きと援助があったように見える。妖怪の霊が、いつも水木さんを見守っていたようだ。
凡人の私には、天才肌の手塚治虫さんより、水木さんの生き方が参考になる。我々に与えられた人生の乗り物は、良くて日本車の2500ccクラスの能力なのだ。水木さんは、その車を大事に乗って、境港市に水木ロードを作った。
死とは、生を生むために前工程である。死があるから、生がある。死なくして生はあり得ない。生まれるてくる胎児も、手の指の間の細胞が死ぬことで、指が形成される。今あるモノが死ぬことで、新しいものが創られる。
徳川家康や菅直人やヒットラーが、現代でも生きていれば困る。菅首相が今も首相の生命を保っていたら、日本は破滅である。徳川家康がまだ生きていたら、安倍さんも政治がやりづらかろう。TTPどころか、鎖国である。徳川幕府が死んで、明治政府が生まれて日本は発展した。死は現状に新しい息を吹き込むのだ。死があるから緊張感がある。任期もその職の死である。死があるから、任期を意識して仕事ができる。
いつまでも己がその座を死守して居座っていては、後進が育たない。新しい目が出ない。後進に道を譲るのがそのポストの死である。そうやって組織は成長していく。新陳代謝のない組織は、永遠の死があるだけ。
余生とは、生への冒涜である。人生で余った生などあり得ない。余命を楽しむ人は認知症の人である。すでに死んだ状態である。毎日が、新しい命の生まれであり、寝る時がその日の死なのだ。翌朝、まだ息をしていれば、まだこの世でやることがあるとの神仏の声なのだ。「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」では、業病に悩む人は、その命をくださいと懇願するだろう。
水木サン 幸福の7か条
1.成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
2.しないではいられないことをし続けなさい。
3.他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
4.好きの力を信じる。
5.才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
6.なまけ者になりなさい。
7.目に見えない世界を信じる。
お見舞い品
以上は平澤興著『平澤興語録 生きよう今日も喜んで』(致知出版社 1000円)にある「四苦即四喜」の章の内容にヒントを得て記述した。著者は元京都大学総長で、ノーベル賞候補にもなった業績を上げられた。この本は、小冊子で全152頁、大きな活字で少ない文字なのですぐ読める。これは病気見舞いに最適の本である。私は今までに病気になった方に累計で30冊ほどを贈っている。皆さん、この本を読んで、生きる力をもらったと大変喜ばれる。病気でなくても、生きる力をもらうために、お勧めの本である。
2018-09-02 久志能幾研究所 小田泰仙
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