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2018年7月13日 (金)

恐ろしい大垣都市伝説(6/7)徘徊観自罪菩薩

第13代 小川 敏   平成13年4月23日就任  在任中

 

両極端の反面教師

 2001年に小倉満市長の死去の後、第13代小川敏市長が、小倉市長が残したハコモノ行政の過剰推進で積みあがった財政赤字の削減に取り組んだ。しかし、またその小川敏行政が極端過ぎて、水道の蛇口を閉めすぎるがごとく、大垣を衰退させた大きな要因となってしまった。経営者は投資と抑制のバランスを考えて、長期ビジョンを持って大垣経済の舵取りをしなければならぬ。小倉市長と小川市長に両極端の反面教師を見る。

 

菩薩とは

 菩薩とは、如来に成るべく、衆生を導きながら修行の道を歩いている仏様である。多くの過ちを犯しながら、表を見せ裏を見せながら、逝く人生である。その姿を衆生に見せて、反面教師の役を担われるのが徘徊観自罪菩薩である。両極端の方策の間を右往左往と俳諧しながら歩く。しかし自ら犯す罪は、如来のような高い智慧の見識がないと観えない。まるで小倉満前市長、小川敏現市長のようである。いくら頑張ってもあと40年は生きられない。いずれは仏様になる身ではあるが、今は人間界をさ迷う一衆生である。

 

死刑囚

 2018年7月6日、オウム真理教の死刑囚の多くは、最期は悔い改めて刑場に消えた。中川智正元死刑囚は、「長い間、お世話になりました」と支援者の会長に別れを告げた。彼らは、新興宗教の極端な思想の恐ろしさを教えてくれた仏様である。

 私は、1980年頃、仕事に悩み、人生に悩み、オウム真理教教祖がその布教活動の手本にしたという某新興宗教にハマりかけたことがある。その教祖さえも、オウム真理教の広報手法のパクリ行為に呆れたという。私は、その教組の本を読んで共感して、桶狭間の近くの小高い丘の上にある教団支部施設で教祖の法話を直接聞くため訪問した。そこの教団職員が、訪れた信徒でもない私に対して「お帰りなさい」であり、そこで最初に違和感を覚えた。その教祖の法話を聞いて、それで目が覚めた。教祖の説法の論理がおかしいのだ。説法の基本は、「〇〇すると地獄に堕ちるぞ、△△しないと地獄に堕ちるぞ」である「そのためには寄進をすればよい。本来なら、自らお寺に来て奉仕活動をすればよいが、忙しい皆さんはそれが難しいから、それに相当する額の寄進をすればよい」である。理路整然としているが、その前提条件がおかしい。それで私はその教団から距離を置き、未来の地獄の淵から生還した。その教祖もあれから40年程が経ち、週刊誌広告欄に登場する姿に老いを感じる。宗教法人の維持管理・経営も大変である。

 

死刑宣告

 我々は、生まれた時に死刑宣告を受けている。限られた人生で、何を行うか、何を行わないか、何のために生きるか、を問われている。生の時間は有限なのだ。自分の人生の真の敵は、怖れと慢心で傲慢になりがちな己の心なのだ。

 お釈迦様は、あの世が有るとも無いとも、何もおっしゃらず、旅立たれた。ただ「死ぬまで精進せよ」とだけ言い残された。今に残る仏教の言い伝えは、弟子の伝聞である。

 

裏金工作

 小川敏市長は、小倉満市長が残した100億円とかいう負債を減らすために、「奥の細道結びの地記念館」建設費を公称40億円としながら、実質的に20億円しか使わなかった。残りの20億円は負債返済の裏金としたという。これは小川敏市長自らが自治会長達に、大垣市の財政の苦しさとして話したことである。だから「奥の細道結びの地記念館」が安っぽいのだ。下衆の勘ぐりで、他にも同じような不正があるのではと邪推してしまう。なぜ正々堂々と公表しないのか。変な細工をすれば、そこで不正が発生する要因となる。ただでさえ、疑惑に満ちた市の行事予算の使い方である。

 大垣財政が苦しいといいながら、小川敏市長は豪華な大垣新市庁舎建設を進め、大垣市政100周年記念行事で愚劣な行事に3億円余の散財と、やることが支離滅裂である。節約王として名を馳せた小川敏市長は今いずこ?

 そのように裏で仕事を動かす事例が、今年2018年1月に発覚した彦根市役所耐震工事での不正である。大垣市は、市の事業内容は、執行中の行政予算は公表しないという条例を作っている。これでは行政はやりたい放題である。これこそ汚職の温床である。

 

血を見る経験

 小川敏氏が大垣市長に就任した平成13年(2001年)は、私が前職で生産技術開発部隊から技術開発センターの技術企画部に移り、会社の業務改革に取り組んだ時期である。総論賛成、各論反対の多くの抵抗勢力の反撃にあい、頓挫して涙の多くの学びを得た。抵抗勢力曰く、「まず隣の課からやってくれ、その後から私の課はやるから」である。

 「世界的規模のIT企業でさえ、多額のIT投資の受注獲得のため、汚い手を使うことを目のあたりにした。そういう経験を経て、今の私があると感謝している。汗をかき、涙を流し、血を見ないと人は成長しない。

 

英霊に感謝の祈り

 私は2010年、大垣に帰郷後の5年間程、ほぼ毎日、雨の日も雪の日も風の日も「四季の路」の約5kmを散歩して、その帰り道に、濃飛護国神社に寄って参拝して、大垣・日本の為に命を捧げた英霊に感謝の祈りを捧げていた。私は約2年間で、俳聖松尾芭蕉が「奥の細道」で歩いた2400㎞と同じ距離を踏破した。

 その途中の2014年7月28日、眼の手術を受けた翌日、シベリア抑留慰霊碑「恒久平和の碑」のダモイの会名簿に、偶然、父の名を発見して厳粛な気持ちになった。現在、日本と大垣が平和に暮らせるのも、先人の国と郷土の為に命を捧げた英霊の戦いがあってのことだ。

 現在は、脊柱管狭窄症で腰を痛めたので、散歩は中断しているが、機会があれば参拝をして、大垣の英霊に感謝を申し上げている。

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 濃飛護国神社 2013‎‎1‎‎4‎日 0‏‎9:12

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 恒久平和の碑 2015‎年‎1‎月‎2‎日 0‏‎8:04

 

サムシンググレート

 大垣市長が1947年の初代から12代連続して、現職のまま死亡するのはただ事ではない。大垣市行政には、根本的な問題があるか、人智では計り知れない力が及んでいるようだ。その人智では計り知れない存在を、村上和雄筑波大学名誉教授は、サムシンググレートという名で定義している。人の命が生まれるのは、1億円の宝くじが1億回連続で当たるくらいの奇跡だと村上和雄先生は説く。その人の命を生まれさせる力がサムシンググレートである。

 

神佛の戒め

 この世で起こることは偶然ではなく、必然である。1回は偶然でも、それが二回以上続けは、必然の理由が存在する。人間の浅智慧では、それは分からない。神仏・大自然の前で、人は無力である。無力であると悟ることが、宗教の教えである。得たものは無、有るものも無、それが般若心経に書かれた神髄である。ただ頂いた命を大切に生かすのが、サムシンググレートからの教えであり、佛の教えである。

 

現代人の傲慢さ

 それに対して現代人はあまりの傲慢である。世界最高峰の山を登頂したくらいで、「人が自然を征服した」などと言う傲慢さがある。水まんじゅうギネス挑戦で、たかが1500組余で、世界記録だと自慢して大騒ぎをする姿勢に傲慢さがある。だから神仏が、2週間後に世界記録消滅の鉄槌をくだした。人が大自然やご先祖、隣人への感謝を忘れ、傲慢になった時、何ものかが人に牙を剥く。

 

大垣市の治水怠慢

 神仏、サムシンググレートは人間の怠慢に対して、鉄槌を下すことがある。水害の多くは、行政の治水の怠慢からくる災害である。いつ何時、この2018年7月に西日本を襲った豪雨災害に、大垣市も襲われるやも知れぬ。まだ昨年2017年10月に大垣市を襲った超大型の台風21号での水害の爪痕が記憶に生々しい。台風に伴う大雨で、降水量は325ミリ(上石津町下山)を観測して、荒崎、静里地区など、大谷川や水門川周辺地域などへの浸水被害や、アンダーパスの水没事故が発生した(小川市政は、「道路の通行規制が発生した」との表現で治水怠慢を誤魔化した)。家屋被害は床上浸水4棟、床下浸水168棟、浸水(非住家)29棟、一部破損4棟である。

 その「なにものか」とは、神であり佛であり、サムシンググレートと呼ばれる存在なのだ。これだけ科学技術が進歩しても、人間は細胞一つさえ作り出せないのだ。謙虚さを忘れ、暴走する現小川敏大垣市政に、神をも畏れぬ傲慢さを垣間見る。

 

2018-07-13  久志能幾研究所 小田泰仙  

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