極楽運転道 1.車の安全対策(7/8) 制動
(9)ブレーキを踏まない運転を
現状からの変更はとかく、エネルギーがいることは前項で述べたが、同じ理由で、できるだけブレーキを踏まなように予想運転をすれば、事故とタイヤの磨耗を防げる。
自車の前とその前を走るの車の状態、回りの状況を考えて運転すること。ブレーキを踏むこと自体は、考えて運転していない証拠である。事前に相手の状況、次の信号を予想できれば、エンジンブレーキで車の速度は制御できる。急ブレーキは、起こるべき状況を予想できなかったために発生する。己が考える運転を放棄した結果である。
以上の述べた手法の集大成の結果として、私が1990年代に乗ったクレスタのタイヤは、通常の2倍の70,000kmの走行実績を記録した。この走行距離でも、まだ、然るべき規定タイヤ溝深さを保持した状態であった。けっしてツルツルの状態まで乗ったわけではない。
相手にブレーキを踏ませない運転を
自分がブレーキを踏まないように、相手にもブレーキを踏ませないような安全・気配り運転が事故を無くしてくれる。ところが、僅かな時間を惜しんで強引な割り込み、我がまま運転で、相手にブレーキを踏ませる運転が横行している。ハンドルを握ると人格が変わる人がいる。ハンドルは、人格を測るリトマス紙なのだ。
急ブレーキ、一鳴き500円
急ブレーキを踏むと、タイヤが摩耗する。その量をタイヤの価格と規定タイヤ溝深さから計算すると、一回の急ブレーキ価格は500円である。タイヤ一鳴きでワンコインが煙となる。無謀運転は、己の命とタイヤの命を削る。
追い越し車線
本来、追い越し車線は急ぐ人や貧乏人のために空けておくべきで、安全運転と生活VAを心掛ける人は走るべきでない。そのかわり、急ぐ時には必死に飛ばして走るべきである。追い越し車線を不真面目に?とろとろと走っていると、気の短い輩に煽られるし、「気違い」に、走行車線からの変則の追い越しをかけられ、逆に事故に巻き込まれる可能性が増す。
だから私がたまに追い越し車線を走るときは、目的意識を持ち「真面目に」飛ばしています。勿論、周りにお巡りさんがいないことを確認してからです。前の車が遅いと「グズ! そこを退け!」と、ペルソナを付け替えて臨機応変に性格を変えます。(笑)
ペルソナ
ペルソナとはラテン語で仮面のことである。人は己に顔に仮面をつけて、その仮面の役に応じた演技をこの世でする。警察官は警察官の振舞いをして、役人は役人のように演じる。このペルソナから個性の意味である「パーソナリティ personality」という言葉が生まれた。自分はどんな仮面を被ってこの世で演技をしているか、第三者の眼で見なおして欲しい。人によっては仮面が顔にへばりつき、仮面を取れなくなった人もいる。それは悲劇であり、喜劇である。仮面の奴隷になったのだ。そういう人が、お役人には多い。
銀行強盗の勧め?
某大学の教授室で、車の話題に花が咲いていていた。親会社から天下ってきたお偉い御方が曰く、「とことこ走りたい人はそれでよろしいが、世には親の死に目に間に合わせるため、命がけの法規無視で駆け抜けたい人もいる。その人のためにこそ、追い越し車線を空けて欲しい・・・」と。
それを受けて、私の敬愛する茶目っ気のある先生が、「さすれば金のない人のために、いつでも銀行強盗ができるように、金庫を開けておけと言うか・・・」とスマートに言ったら、気まずい雰囲気になったとか。
さる御方はユーモアのセンスが無い。一人の人間ができる銀行強盗の額は高が知れている?
(10) 3秒後に
車の運転ではこの「3秒」がキータイムとなっている。
・車間距離は、3秒間で走れる距離を保持
・ウインカーを出して、3秒後に車線変更
・3秒に一度、バックミラーを見る
ブレーキを踏んでからウインカーを出し、車線変更を始めてからウインカーを出す運転は非常識。カップラーメンの3分を待てる人が、何故、命に係わる3秒を待てない?
(11) 予防ブレーキ
安全運転の指導で予防ブレーキの活用を指導している例もあるが、テストドライバー資格検定では、この件は勧めてはいない。なぜなら予防ブレーキは、パニックブレーキ等の場合に、後続の相手に、もう一度正規のブレーキが踏まれると誤解される恐れがあるから。私はこの運転訓練で、この指導を受けて、予防ブレーキの習慣を止めた。
(12) 加速して次の走行ラインへ
車線変更は、車を加速してから次の走行ラインに変更すること。後続の車に追突されない気配りを。そうしない祟り(?)を被る。事故にあうのは自分である。とかく「現状からの変化」には、多くのエネルギーが必要とされる。それを惜しむと、酷いしっぺ返しを受けるのは、車の運転だけに限らない。
相手にブレーキを踏ませない運転が、事故の確率を減らしてくれる。直前で割り込しながら、ノタノタする車にイライラさせられることが、多いのは、人生の試練である。相手にブレーキを踏ませる無神経さは、無礼気者。
虫けらの行為、人間の智慧
夏の日、窓ガラスに向かって、必死に何度も突き当たって、外へ出ようとする虫をよく見る。すぐ横に隙間があり、そこから外に出られるにもかかわらず、ひたすら窓ガラスに突撃する性は哀しい。
それと同じ現象を、車の運転中によく見る。なんでもう少し、余裕を持って運転できないの? あと5秒待てば、後ろ側は車列ががら空きとなり、安全に通過できるのに、だ。強引に突き進むのは、前述の夏の虫に似ている。回りを見れば、安全な道、安全な時は数多くある。
どうせ、みんな、あの世に行く身、何を焦って飛ばすやら。この余裕こそが安全運転の極意、人生での生きる知恵である。便利なようで便利でない車で、その人生の不便さを感じることが智慧である。その心を頭と体で分かったことが智慧である。人間なんだから、虫けらの行動ではなく、人間として智慧ある行動をとりたい。人間とは、人と人の間で生きていく存在である。
馬場恵峰書 2017年
2018-06-26
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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