« 足で人生の作品を創る | メイン | 自惚れは持たねばならぬ »

2018年4月14日 (土)

磨墨で真心を磨る

 2018年4月13日、盛岡の湯澤さんと齋藤さんが、遠路700キロを自車で交代しながら運転して大垣フォーラムホテルに日没後の18時15分に到着した。翌日の馬場恵峰先生の講演会に参加のためである。

 湯澤さんは、重い書道道具を恵峰先生に長崎から運ばせるのは忍びないと、岩手から書道道具を車に載せて駆けつけてこられた。新幹線か飛行機で来れば楽な旅行なのに、丸一日の運転の苦行である。

 翌日の4月14日、湯澤さんは開場の4時間前の9時半に大垣のホテルを出発して会場の犬山に向かった。講演会場で恵峰先生が揮毫時に使う墨液を準備するためである。その墨液を準備するために、講演開場前に会場で3時間をかけて墨を磨るのである。

 恵峰先生が揮毫で使う本物の墨液は、静かに、穏やかに、心を落ち着かせて、長い時間をかけて、墨を磨ることで生み出せる。ゆっくりと磨ると、下した墨の粒子が細かくてよい墨液ができる。速く急いで磨ると粒子が荒くてよい墨液はできない。

 恵峰先生の講演会を聴く人は誰もこのことを知らない。私も、今回初めて、こういう支援活動を知った。人知れず恵峰先生のために骨折って下さる湯澤さんに感謝です。盛岡から駆けつけて、磨墨で真心を磨るという無償の支援をされるのも、恵峰先生の人徳の賜物である。

 

磨墨修行

 磨墨修行とは、墨を己に見立て、硯を社会に見立て、自分をすり減らす修行を言う。下りた墨で、自分の作品を作り、世に問う。その墨を磨るにも、出来合いの墨汁では修行にならない。墨汁は石油から作られた化学製品である。石油のアルコール分が、筆の毛を痛める。自分の命の代わりの道具を痛めては、良い作品は生まれない。墨汁を使うとは、安易な仕事道具で仕事をするが如きやり方である。本物の仕事は泥臭い基本の修行から生まれる。

 世の中には、表舞台の裏では、このような磨墨をして世を支えている人がいる。それを今回のご縁で教えて頂いた。自己顕示欲で、世間を揺らして磨墨するようでは、鼻につく。パーフォマンスで、読めない字をダンスのように描く書家もいる。書の基本を忘れた遊芸である。書とは、文字で己の意思を人の伝えるためにある。今回の恵峰先生の講演会の準備でのご縁に接して、人生を観た。

 

2018-04-14

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite  Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

コメント

コメントを投稿