無知・不敬の「平家物語歴史館」1/4
2018年3月14日~17日、高松国際ピアノコンクールを聴くために高松に滞在したが、朝10時から夜7時まで会場に拘束されたので、高松の観光地には行けなかった。最終日前日になって、平家物語歴史館が会場の近くに(2キロ)にあることを発見した。開館時間は朝9時からなので、十分に間に合うので見学に出かけた。パンフレットでは、日本最大のロウ人形館とある。朝9時に会場に着いても、時間と平日のせいもあるが、滞在時間中は他の観客は誰もいなかった。料金1200円、見学時間40分。人気はないようだ。全館を見学してその理由を納得した。
1階が四国にご縁のある偉人のロウ人形の陳列、2階が平家物語絵巻の各場面をロウ人形で再現している。全部で150体ほどのロウ人形が展示されており、一見壮観ではある。
詳細に観察して、この平家物語歴史館は無知・驕り・不敬・物語性なしの博物館であると結論付けた。
高松市の平家物語歴史館
全体印象の総括
よくよく見ると、人間の骨格、表情、人相の専門分野で、ロウ人形師の人物の造詣の無知をさらけ出してているの多々発見した。
またロウ人形をただ並べただけ、小さい字で説明書きを展示しただけという、後は観光客が勝手に見るだろう、見させてやる、との博物館の企画設計運営屋に驕りが見えた。
2階が平家物語絵巻の各場面では、わざと暗くしておどろおどろしく展示がされ、まるでお化け屋敷のような雰囲気がある。全体に詰め込み過ぎで、見ていて見苦しい。見世物としての展示の形態で、事務局のやっつけ仕事の驕りを感じた。
安徳天皇や建礼門院、乳母、義経らは、高貴なお方だからそれ相応のお顔の雰囲気がないと困るのに、まるでその雰囲気がなくド田舎の民衆の顔である。それが気の毒である。人形のモデルに対して不敬でかわいそうである。またそのガサツな造りでは、安徳天皇やその母の建礼門院、乳母に不敬である。
博物館の展示は、本を読むと同じようにストーリーが無ければならない。その背景は何か、結論は何か、何が言いたいのか、それが不明で、ただおどろおどろしくお化け屋敷のように並べただけという印象である。
無知
1階から入場して、正面に空海が鎮座して、自分を睨んでいるのを発見して、思わずぎょっとした。勿論ロウ人形であるが、出来はなかなかにリアルである。
やり手のIT社長の趣
しばらく見つめていて違和感を覚えた。空海さんであるから偉い人なのだ。それがまるで感じられないのだ。まるで青年実業家のやり手のIT社長といった雰囲気である。その横顔はふてぶてしい。「おい、〇〇君、ちゃんと修行の成果は上がったのか? 成果が出ないと地獄行きだぞ」と言われているようだ。リアルであるので、余計にぶきみである。それは全体の雰囲気が薄情な人の印象を与えるからだ。その顔は細面で上唇が薄く作られていた。人相学には、薄い唇の人は、強情で人情が薄いと言われる。この唇の相は、私の昔の上司の唇の形態と同じである。その上司は強情さから最後は会社を潰すことになった。
このロウ人形は若いころの空海を再現したようだが、全体的な雰囲気として人徳が全く感じられない。人を表現した造形なら、その人の風格がにじみ出る作品でないと、価値がない。ロウ人形は学芸会の余興ではないのだ。
後日、京都の松本明慶佛像彫刻美術館で、同じ弘法大師座像を拝顔して、ロウ人形との差が明確になった。こちらの方は福々しく人徳溢れた形相で、それでいて威厳あるお姿である。思わず手を合わせてお祈りしたくなった。流石に松本明慶先生作の佛像である。それほどの人相に差があるのだ。
松本明慶仏像彫刻美術館の許可を得て掲載しています。2018年3月21日撮影
百科事典の説明書きの驕り
パネルの説明も「空海」としての事務的な説明で、敬称もなく単に一僧侶の説明を記述しているだけである。本来なら「空海」でなく「弘法大師」として、日本に仏教を広めた開祖として、敬意ある説明文でなければおかしい。そこに、単なる僧としての説明展示である。日本の偉大な宗教家に不敬だと思う。空海さんは客寄せパンダではないのだ。真言宗の宗徒の方に不敬である。これはやっつけ仕事で、まさにお役所的仕事である。
法具の持ち方
また、両方を観察して分かったことが、ロウ人形の右手に持つ五鈷杵という法具の持ち方がデタラメなのだ。その辺の仏教の基礎知識が全くないロウ人形師が、何も考えずに造形している。
耳の造型
ロウ人形の空海の耳の大きさも大きすぎるし、形も不自然である。その位置もロウ人形は下過ぎて、人の耳として違和感がある。これでは人の耳ではない。耳も耳たぶが普通の造形で、福耳ではないのだ。
松本明慶師作
顔の品格
一階の入り口部に壮年の平清盛像が立っている。緻密な作りでリアル感がある。2階の「第二景」に太政大臣に上り詰めた平清盛像がある。それを比較すると同じ人とは思えない。どうも作者が違うようだ。太政大臣に上り詰めた平清盛像は、空海と顔の骨格がよく似ている。その骨格を応用して製作したのだろう。問題は、壮年の平清盛像のお顔である。どう見ても下品な成り上がりものの顔としか思えない。大将なのだから、なにか気品がある顔立ちであるはずだ。それがないので、ロウ人形作者の人格を疑ってしまう。
太政大臣に上り詰めた平清盛像
人形作りの基本
ロウ人形を作るにも人体の骨格、肉付き、人相を熟知しないと、本物の命あるロウ人形はでできない。特に写真が残っている実在の人のロウ人形の製作では三次元データ等を使うので、そこそこの形には出来る。しかし、写真もなく、1300年前の人物のロウ人形の製作は、ロウ人形師本人の人格と技量が問われる。そのロウ人形師の人格以上のロウ人形はできない。会計ソフトを作るにも、ソフトの技術だけなく会計学の知識が必要である。それと同じように、人間の骨格、表情、人相の専門分野で、プロでなければ本物のロウ人形はできない。人物の内面にまで踏み込まないと、命ある像はできない。形はできても、人を感動させる作品はできない。平家物語絵巻の第五景『俊寛のみ赦されず』の中の船頭の体の姿勢がデタラメなのだ。こんな格好では櫂を扱えない。一時が万事で、他も同じである。
見世物として
ロウ人形とは何か、その位置付けを考えて悩んでいたが、結論としてロウ人形は見世物、客引き、アトラクションが結論である。芸術作品ではないようだ。この空海は、仏像とは全く別の作品で、見世物である。だから展示が美術館ではなく博物館なのだ。本来、芸術作品として展示も可能のはず。そうでないのは、ロウ人形師とその企画・製造・展示させた主催者の姿勢に問題がある。
2018-03-25
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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投稿: 岡山商科大学はあなたの夢を叶えます! | 2019年4月12日 (金) 14時46分