ビンゴゲームは、人生を貧誤にする
2017年11月10日、霊山顕彰会の研修旅行として、京都霊山墓地、霊山歴史館を訪れるバスツアーに行ってきた。私が霊山顕彰会に入会して、初めての研修旅行であった。ツアーの帰りのバスの中でビンゴゲームを体験して、腹が立ってきた。最後までいってもビンゴにならないのだ。ビンゴにならなかった人には、残念賞が配られた。それなら最初からその残念賞の景品を貰った方がよい。強制的ビンゴゲームで、考える時間も、風景を楽しむ時間も、隣の人と会話の時間が全て奪われた。それでビンゴゲームの問題点に目が覚めた。
ビンゴゲームの問題点
ビンゴゲームはまず時間の無駄である。幹事が楽をして会員を痴呆状態にして時間を潰させる手管である。ランダムの巡り合わせで景品を配るなら、一度でくじを決めればよい。それを勿体付けて、番号窓を開けていくのは、無駄な時間稼ぎである。何の意味もない。配られる方は努力も細工も、何もできない。ただ次の番号がアナウンスされるのを待つだけである。首に縄をつながれた囚人や餌を与えられる飼い羊のように、ビンゴゲームの結果を待つだけだ。
ビンゴにならなければ、「ビンゴ」、「ビンゴ」とナンバーの連呼で会話も思考も外の風景を楽しむこともままならぬ。音でのゲーム暴力である。思考の強制痴呆化である。
安易な幹事の手管
前職での職場の宴会でも、多くの場合、ビンゴゲームで時間を潰していたのを思い出した。当時は、早い時期にビンゴになり、よき景品を貰っていたのであまり気にならなかったが、今にして、なんと安易な親睦会の余興であると感じた。ビンゴゲームに費やしていると仲間との会話は途切れ、本来の親睦会の趣旨が破壊される。ビンゴを企画した幹事の顔を思い出すと、その行動が納得できる思いである。
ビンゴ対策
次回、ビンゴゲームに出くわしたら、ゲームに参加せず、他のことを考えて過ごそうと思う。千円、二千円ほどの景品に目の色を変えるより、自分の命の時間がもったいないと気が付いた。自分の人生課題を考えて過ごし、ビンゴゲームでは残念賞を貰えばよい。それよりそんな発想をする幹事が運営する行事には参加しないことだ。
自分の人生は、一秒1円、一分百円、十分千円の価値である。本来、お金には換算できない二度と取り返しのつかない時間である。時間は命なのだ。命とは、自分が一生の間に使える時間である。ビンゴゲームでは、その命が奪われる。ビンゴゲーム30分で、時間の出入りまでを考えると6,000円の人生ロスである。人生時間は残り少ないのだ。
今回、霊山顕彰会の研修旅行で京都霊山墓地に参拝して、智者の霊が人生の大事さに啓示を与えてくれた。感謝。やはり墓地の参拝はご利益がある。
2018-01-30
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。
コメント