選択と決断
産業革命が起きて200年が経ち科学技術は発展したが、人類は細胞一つ作り出すことが出来ていない。その細胞が37兆個からなる人間と言う存在は、佛といわざるを得ない。己は人体と言う曼荼羅の中で、中心に位置する魂の存在である。己を支えてくれている37兆個の佛に感謝をして生きていたい。
2014年11月29日、お酒を飲み意識を失って救急車を呼ばれたというご縁は、佛様からのメッセージとして真摯に受け止めて禁酒を決断し、体の精密検査を受けることにした。
経営者の仕事
経営者の仕事は決断である。即決でなくてもよいので、早い時期に決断をすること。最大の過ちは決断をしないこと。決めれば何かが動く。間違った決断は、佛様がその結果を教えてくれる。間違っていることが分かれば、軌道修正すればよい。決断をしないと軌道修正も出来ない。決断をしないと佛様もご加護しようが無い。
前職の会社の経営者はその決断ができず、65年続いた会社を消滅させた。吸収合併されて、多くの人が悲哀を味わった。経営のトップが名門校卒だから、それが頭がよい証明にはならない。また決断力があるわけではない。会社を消滅させたのは、優柔不断なトップが招いた悲劇である。政治行政でもトップに正しい選択眼、決断力が無いと、市を衰退に導く。大垣市のように。
決断
決断の「決」は水(さんずい 氵)が堤防(ユ)を切り裂いていく様を表している。自分を取り巻く固定観念壁(堤防)や障害を切り裂かないと前進は出来ない。
人は一日に20回の決断をするという。コーヒか紅茶か、魚料理か肉料理か、A案かB案か、その縁に乗るか乗らないか等の選択は、毎日迫られている。人の意思は、今までの慣性で回していた決断の人生惑星という軌道上にある。その軌道から慣性力に打ち勝って新たな軌道へ移るには大きなエネルギーが必要である。人生60年間に約44万回もの決断をして、かつ同じような決断を日々繰り返しているため、その考え方が強固になっている。これが固定観念である。だから老人の頭はカチンカチンの固定観念で凝り固まっている。約44万回もの決断の訓練をして強固にした固定観念を打ち破るのは並大抵のことではない。その固定観念の堤防を破り、新しい道に進むのが決断である。決断が新しい人生を切り開く。
選択と責任
選択とは、2つの選択肢から1つを選んで、進むべき道を決断すること。一方を選択すると、片方は切り捨てる事だ。それに対して、選択肢の両方を選び、決断を曖昧にするから道に迷う。すべて己の責任である。
「色もなく 香もなく 常に天地は 書かざる経をくり返しつつ」(二宮尊徳)とその選択肢は、天地(あめつち)が奏でる経のように目の前に現れては消えていく。その経とは目の前に現れるご縁である。それは世に満ちている。出会うご縁に色香はない。それに色を付けるのは、己の利己慾・業欲・権力欲・色情である。素直な眼で見れば、正しい判断ができるが、偏向した色眼鏡でみれば、色のついたご縁として目の前に写り判断を誤り、偏向した決断となる。すべて己の責任である。
人が助けて欲しいとメッセージを発信しても、相手には利己慾・金銭欲で染まった目には、煩わしい雑音にしか聞こえない。そのメッセージを取り逃がすことで、「蜘蛛の糸」というご縁が切れる。その糸は二度とつながらない。人の世は義理人情・報恩感謝で絡み合っている。合理的に選択・決断する世渡り上手な人は、合理的にしか生きられない宿命を背負う。そういう人とは縁を切らないと、己の人生が豊かにならない。
この年初のドレスデントリオのニューイヤーコンサートの運営では、多くの人のご援助を頂いた。この場をお借りしてお礼申し上げます。
わが道
利己慾・金銭欲・権力欲で染まった衆生の言動に煩わされず、私は己の道を、迷わず あせらず 胸を張って 心に刻んで 歩んでいきたい。
2018-01-16
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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